第五十六話  「つきなき髪形」


 フェリシアといったら、董士が目を覚ましてから彼のベッドにべったりで、食事の間は勿論のこと診療の間も傍を離れようとしなかった。往診に来たウィンストン医師も呆れるほどだった。
 ウィンストンはアクエルムの村で唯一の医者である。痩せぎすで禿頭をした老人で、鼻先に小さな丸眼鏡をかけ、鋭い眼がその奥から光る。いつもしかめ面をしていて愛想が無かったが、特に気難しいわけではなくそれはそもそもの顔の作りが原因であると村人は理解していた。
 アクエルムは『青』の国の最北部に位置していて、『白』の国とは海峡を隔てるだけである。そのため、古くから二国間の交流が盛んで、この地には『白』からの移民も多かった。住民の三分の一は『白』の血を宿す者で、ウィンストン医師もその中のひとりだった。ウィンストンの家は曽祖父の代からアクエルムに住んでいて、彼は『青』生まれの『青』育ち、『白』の国へは二度旅行で訪れただけであるから、自身が故郷としているのはアクエルム以外には無かった。骨を埋めるのもこの地と固く決めている。
「フェリシアよ、そんなに男の裸が見たいのかね」
 ウィンストンは冗談なのか真剣なのか解らない表情と声で言った。これから董士の包帯を取り替え、『白』の回復魔術を施すところである。当然、彼の肌が露わになるわけで、だのに一向に部屋から出て行こうとしないフェリシアに、ウィンストンは苦言を呈したのだった。
 そんなこと、とフェリシアは思わず頬を赤らめた。
「私、そんなにフシダラな女の子じゃないもの」
「だったらとっとと出ていかんか。すぐに終わるし、終わったら呼んでやるから」
 フシダラな女の子にされるわけにもいかないので、フェリシアは両の頬を膨らませながら退室した。少女がいなくなると、ウィンストンはやれやれとため息をついた。
「全く、早いとこ成長してもらいたいものだな。振り回されるこっちの身がもたんよ。わしなど、老化と戦うだけで手一杯だというのに」
「成長期が遅れているという話らしいな」
 董士はガウンをはだけさせながら、同情するような口調で言った。
「うむ、あれだけ遅れる子も珍しい。まあ裏を返せば、もういつ成長期が来てもおかしくないということだが。あの子がどう化けるか、楽しみではあるな」
 董士の包帯を解きながら、ウィンストンはにやりと笑った。相当の高齢だろうに、綺麗に並び揃った白い歯が若々しい。
「わしも今まで大勢のがきどもが成長する様を見てきたが、だからこそと言うべきか、美人になる子は解るのさ。いや、見た目の意味じゃない、中身だ。成長期の前と後では、頭の作りも大きく変わるのでな。素直だった子が急にひねたり、そういうこともままあるというわけだ。だが、フェリシアは間違いなく良い女になるな、わしの第六感だ」
 そう言われたところで、董士には何ともコメントを返せなかった。肯定も否定もできず、結局返した言葉は話題を変えるような形になってしまった。
「成長期というものは、突然来るものなのか。一晩で姿が変わったりするのか」
「いいや、全体で三週間くらいだな。実質は約一週間で、その前後期間が一週間ずつくらいある」
「よく解らないのだが」
「ものわかりが悪いな、お前さん」
 人間である董士に無茶を言う。ウィンストンは面倒臭そうに、魔族の成長期について語った。
「まず、顔にある家紋が消える。これが兆候だ。同時に、体が有する魔力量も激減する。この状態になってからおよそ一週間が経つと、実質的な成長が始まる。と言っても、何かをするわけじゃない。ただ一週間、昏々と眠り続けるだけだ。その間に体も心も育っていき、目を覚ました時にはすっかり変化が終わっている。その後、更に一週間をかけて、家紋と魔力が徐々に戻ってくるってわけだ」
「奇妙な成長をするものだな、魔族は」
「まあ、ニンゲンのお前さんから見れば奇妙なのかもしれんがね。わしらにとっては普通だよ。皆、がきの頃は家紋が消えるのを心待ちに過ごすものさ。先に消えた奴が大喜びしてるのを横目で見ながら、内心で『見ていろ、次は自分の番だ』なんてな。フェリシアも多分、毎日鏡を覗き込んでいるんじゃないか。わしとしても、あの子の家紋が早く消えんものかと期待しとる」
 ウィンストンが話し終えた時、董士の包帯も完全に解かれ、傷跡が露わになった。昨日も治癒魔術をかけられ、高価な治療薬を塗られたので、既に殆ど治りかかっていた。魔術とは大したものだと董士は思わずにはいられなかった。
 患部を一瞥して、ウィンストンは小刻みに頷いた。
「ふむ。まあ、こんなもんだろう。わしの診る前に基本的な治療はされておったから、複雑な術式は必要無かったしの。今回術と薬をやれば、後はもう心配いらんだろうて」
 老人の禿頭が、董士の眼前でぴかりと光る。どうやらここに長居はせずに済みそうで、董士は内心愁眉を開いた。“獄門”の開放を防ぐためには、床に伏せっている場合ではないのだ。なるべく早く、敵陣まで到達したい。彼より先に魔界へ渡った面々とはどうやら“門”通過の際に逸れてしまったようだったが、おそらくは同じ場所に向かうはずだから、そこまで辿り着けば合流できるかもしれない。
 しかしその場所が何処にあるのか、今の董士は全く把握していなかった。後でフェリシアにそれとなく尋ねてみるのがいいだろう。経路やかかる日数も頭に入れておかなければならない。董士はウィンストンの治療を受けている間、そんなことを漫然と考えていた。




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