第四十九話  「玄(3) Friends」


 すすきはベッドの中でなかなか眠りに落ちることができないでいた。丸窓から夜空を見上げると、星の海が広がっていた。昨日、一昨日と雨が続いていたので、何だか久しぶりに見る星のような気がした。灯りひとつない森の中で見上げる星影は、その囁きが聞こえてきそうなくらいにまぶしかった。
 “獄門”開放の刻限までの期間、その半分を既に使い切ってしまっていた。残りの半分で、目的を全うできるのかどうか、実のところ自信がなかった。未だ、王都へと辿り着く手段すら見つかってはいないのだ。スタート地点にすら立てていないような、そんな気持ちでもあった。
 王都にいるはずの二人は無事なのか、一緒に魔界に来た他の二人はどうなったのか、人間界にひとり残してきた彼は意識を取り戻したのか、案ずることは山のようにあった。けれど、最も案ずるべきは自分の現状ではないだろうかと、すすきはそう自問した。自分以外の者については、案じてもどうにもならない。信ずるよりほかないと思った。案外、まだ地上でもたもたしているのは自分だけだったりするのかもしれない。
 窓とは反対側にすすきは首を向けた。本棚に囲まれた狭い床の上では、ティスカが薄い布にくるまり、小さく丸まっている。この家に厄介になった五日間、結局彼女のベッドを占拠し続けてしまったことになる。怪我も良くなったことだし今日くらいは私が床の上で、と先程提言してはみたのだが、無理矢理寝かしつけられる形で今夜もすすきは同じ場所にいる。
 魔界に来た本来の目的に向けて全く前進できなかったこの五日間は、もどかしい思いが絶えることはなかったけれど、それなりに心地よいものだった。
 すすきの発した言葉を、いつでもティスカはさらりと笑っていなした。だからといって蔑ろに扱うわけでもなく、彼女自身はいつも一歩下がった位置にいて、すすきの声に真摯に耳を傾けてくれたのだった。話をする時は逆に、ティスカは一歩前に出て、本当に熱心に語りかけた。そうした微妙な受け答えの間合いが、すすきには心地よかったのだ。
 小さい頃からすすきは巫女として育てられ、礼儀と格式を教え込まれ、『時白』の娘として周囲からは期待をされているのが自分でも解っていた。そして、それに応えるのが当然であり義務であると思っていた。大人と同じことができるのが当たり前だとされたし、できなければならないとも思っていた。
 相手が年上だからといって、負けたり劣ったりすることの言い訳にはならなかった。周りの大人たちと対等に生きていくために、肩肘を張っていた。背伸びをしていた。
 その甲斐あってか、褒められることは多かった。本当に落ち着いていて、しっかりしていて、大人よりも大人だ、と。周囲の者たちからは対等に見られるようになっていた。
 けれど、幾ら対等の扱いを受けようと、いや、受ける度に、対等ではないと最も強く実感してしまうのはすすき自身だった。肩肘を張って背伸びをしている己を知っているからこそ、実際は同じ位置に立てていないという事実が浮き彫りになった。
 すすきには同じ位置に立つ者がいなかった。
 董士とは幼馴染で、同い年で、でも彼は『水守』の当主を名乗り、独りで生きていけるだけの力を持っていた。己の判断でいつも先に行ってしまう彼は、すすきよりも上の階段を進んでいるように思えた。何より彼はいつも自分勝手で、だからこそ背伸びをしている様子など少しも無く、そのままで高い場所にいられるのではないかと感じさせた。
 姉のようにすすきの面倒を見てくれた世話役の常磐は、その立場上、常に彼女の後ろに控えていた。常磐の方から強く意見を出すことは少なく、すすきの意見を聞く方が専らだった。いつでも取り乱さず、落ち着いていて、静かに身を引いている。それが返って、すすきに彼女を見上げさせた。すすきにとっては、背伸びをした自分を二倍したような、そんな相手だった。自分がなろうとしている姿を事も無げに現実化してみせるのが常磐だった。胸の何処かで、彼女にはどうしても敵わないと、すすきは思わずにはいられなかった。
 高校で出会う同級生は、すすきを大人として見ていた。尊敬や憧憬や賞賛を含んだ眼差し。それは対等の扱いではなく、それ以上の扱いで、本当は見上げられる立場になど無いのにと思うと情けなくなった。無論、見上げられることを疎ましく思い続けてきたわけではない。それは自ら望んだことでもあったし、そうされることで自分を保っていられたのも確かだ。だがしかし、それが時に重苦しく体の上にのしかかってくることもあった。
 ティスカは対等だった。話をする時は一歩前進し、話を聞くときは一歩後退して、すすきと同じ位置に立っていてくれた。見下ろすでもなく見上げるでもなく、同じ高さに視線があった。大人びているかと思えば、少し子どもっぽいところも残していて、そんなティスカと接するのに、無理をする必要はなかった。
 そんな相手は、すすきにとっては初めてだった。だからこそこんなにも短い時間の中で、打ち解けることができたのではないかと思う。すすきの本当の背の高さを測ってくれて、そして、自分の背の高さも同じだよと言ってくれる相手は、初めてだった。そんな相手がひとりでもいることがどんなに大きなことであるのかを、すすきは今まで知らなかった。
 長い間、無意識の内に追い求め続けていた存在をこんなところで見つけるとは、思ってもみなかった。すすきは一刻も早く王都に向かいたかったが、ティスカとの別れに少し胸に何かがつかえるのも確かだった。もう二度と、会うことはないかもしれない。ティスカにも、ティスカのような相手にも。
 そろそろ眠らなければ、とすすきは瞼を下ろした。明日の朝は早い。無理にでも睡眠を取っておく必要があった。この先、落ち着いて眠りに就けることなど、しばらくは無いかもしれないのだ。
 すすきが眠りの中へ身を委ねようとした、その時だった。
「……ねえ、ススキ、起きている?」
 今にも静けさの中に消え入りそうなティスカの声が、そう尋ねた。すすきは返事をしようとしたが、その前にティスカが言葉を続けたので、それはできなくなった。
「起きているなら、何も言わずに聞いて。眠っているなら、そのまま眠っていて。途中で何かを言われてしまうと、最後まで話せなくなりそうだから」




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