第四十六話  「都(2) Prisoner」


 薄暗い。
 何かに起こされたというわけではなく、真人は目を覚ました。どうやら長い間瞳を閉じ続けていたらしいということだけは体の感覚で理解できたが、それがどれくらいの時間だったのかは定かでなかった。
 仰向けになっている上体を起こそうと腕を動かしたところで、両の手首が一緒に移動することに気がついた。何だ、と思って両腕を顔の前に持ってくると、分厚い石製の枷がはめられていた。
 腕を腹の上に下ろすと、薄闇に慣れてきた瞳で、真人は自分がいる空間を見渡した。石造りの壁と天井は冷たい空気を放っていて、五分で飽きそうな殺風景な様相だった。それに何より、圧迫感を伴うような狭さだった。
 灯りが差し込んでくるのは主に横たわった彼の足元の方からで、頑丈そうな鉄格子の影が部屋の床に伸びていた。真人の頭側の壁の上段には小さな窓が作られていたが、ここにもまた鉄の棒が並んでいた。その外側には生い茂る草の緑と空の青が見えた。どうやらあの窓は、地上と地下との境界線に当たるらしい。そしてどうやら、今はまだ昼間らしい。
 真人は体を起こした。薄い布を敷いただけの固い寝台が軋んだ。体の節々が痛い。少しかびくさい臭いが鼻についた。
 鉄格子の向こう側で、看守と思しき人物がこちらに振り向いた。寝台のたてた今の物音を聞きつけたらしかった。
「気が付いたか。気分は悪くないか」
 問われて、真人はとりあえず頷いた。意識は多少ぼやけていたが、体調は平均水準であるように思われたからだ。ただ、喉が渇きを訴えていて、胃が飢えに叫んでいた。
「水、もらえねえかな」
 石壁で囲われた空間で、声は思ったよりも反響した。真人の返答を受けて、看守は部下を呼び、口早に命じた。その声も揺れるように響いていた。
「トルチェ様にご報告しろ、人魔術師の少年が目を覚ましたと。それと、この少年に何か飲み食いするものを持ってきてやれ」
 命を受けた相手が走り去ってゆく足音を聞きながら、ようやく真人はここが何処なのかを理解し始め、自分がどうしてこのような状況に陥っているのかを思い出し始めていた。

*  *  *

「もう、起きるのおそいよお。アタシ、わくわくしながら待ってたのに!」
「オマエの都合なんか知るかよ」
 いきなり苦情を叩きつけられて、真人はため息混じりに返答した。『玄』の将、トルチェ・リクゼンは、彼の食事よりも早くやって来た。真人の希望する順番とは全くの逆である。
 鉄格子の向こう側で少女が膨らませている頬は無視することにして、真人はとりあえず思い付いた質問を片端から並べたてた。訊きたいことは山程あったのだ。
「それで、俺はどれくらい気を失ってたんだ? 俺が捕まった後、人間界では何があったんだ? 魔界に連れて来られたのは俺だけか?」
「あぁ、もう、いっぺんにきかないでよォ。シツモンはいっこずつ!」
 トルチェは細い手足をじたばたと振りながら、八重歯の目立つ口できいきい叫んだ。
「わかった、わかった。だからその無駄な動きをやめろ、騒々しい」
 真人は頭を抱えたい衝動に駆られた。小動物のような女の子は、一度戦っていなければとても魔将だとは信じられなかった。いや、一度戦っていても信じ難い。
「それじゃ、一個目だ。俺が気を失ってから、どれくらいになる?」
「二日だよ。ああ、そうだ、おにいちゃんは名前なんていうの。ヤカタの一族なんでしょ」
「二日? そんなに経ってんのか。あァ、オマエのせいだな? あの時、何か変な術かけやがったんだろ」
「名前おしえてよ、名前!」
 睨んだ真人を全く意に介さない様子で、駄々をこねるようにトルチェは鉄格子を揺すった。真人が注意したばかりの騒々しさは、収まるどころか飛躍的に上昇した。
「だいたい、おにいちゃんが生きてられるのも、アタシのおかげなんだからね。陛下におねがいして、傷の手当てだってさせてあげたんだから。カンシャしてよ、カンシャ。ねえ、名前おしえてってばァ」
「うるせえなぁ。教えるから静かにしろって。八方真人だ」
 酷く投げやりに真人が名乗ると、トルチェは嬉しそうに、また鉄格子で盛大な不協和音を奏でた。
「マヒトかあ……マヒトマヒト! マヒトマヒトマヒト!」
「うるせえって言ってるだろうが!」
 はしゃぎながら連呼するトルチェに、真人は早くも疲れを覚え始めていた。休養は充分に取ったはずなのだが、おかしい。
「次の質問いくぞ。俺が捕まった後、どうなったんだ? 栞さんとアイツは――『白』魔族の血を引いてる二人は」
「シオリっていうおねえちゃんの方は、マヒトといっしょに連れてきたよ。でも、もうひとりの方はシッパイしたの。ちょっといろいろあってさあ、シーインはあれからずっとフキゲンだし、もうタイヘン」
 そうか、とだけ真人は答えた。栞を助けられなかったことは憂慮すべきだったが、それ以上に澪が捕われなかったことに安堵していた。これで澪も捕まっていたとしたら、自分は何のために彼女を庇ったのだか解らない。捕まり損もいいところだ。
「で、栞さんは今、何処に」
「お城にいるよ。マヒトとは棟がちがうけどね。ここは西棟で、シオリは北棟だよ。それに、マヒトよりもずっとタイグウがいいよ。“聖禍石”を使えるようになるために、今日もエルレーゼのクンレン受けてるんじゃないかな」
「“聖禍石”って……まさか、奪ってきたのか」
「そっか、マヒトは知らないんだね。『白』の“聖禍石”は、セドロスがちゃんと回収したの。けっこう苦労したみたい。なかなかつよいヒトが守ってたんだねえ。アタシ、そっちともあそびたかったなァ」
 トルチェはけらけらと無邪気に笑ったが、真人にとっては笑えるような話題ではなかった。殴りかかるような剣幕で、彼は少女の笑いを遮った。
「ちょっと待て、オマエ。“聖禍石”を守ってた奴等は無事なのか。それに、衙は、シーイン・ロンと戦った奴はどうなった」
「マヒト、こわーい」
「いいから答えろ!」
 アタシ知らないよ、とトルチェは面白く無さそうな顔で肩を竦めた。
「セドロスは何聞いても話してくれないし。シーインとたたかったおにいちゃんは、アタシたちが帰るチョクゼンに急につよくなってさあ。だけど、相手せずに帰ってきちゃったから、そのあとどうなったかなんて知らない」
 役に立たねえな、と真人は小さく漏らしたが、トルチェの耳には届かなかった。届いていたら、また大騒ぎになっていたところだった。
(“聖禍石”を奪われたってことは、すすきさんたちはどうなったんだ。衙は『朱』の将に負けちまったのか)
 不安や疑念は尽きなかったが、答えてくれる相手はいなかった。真人の表情が険しくなったのを見て、トルチェが明るく笑ってみせた。
「まあまあ、今ここでシンパイしてもしかたないよ。きっとブジだって」
「能天気なヤツだな」
「どうせ考えるなら、悲しいことよりも楽しいことの方がいいじゃない。シオリとちがって、マヒトは何もしなくていいんだし」
「そうだ、栞さん……訓練を受けてるって、そう言ったな。まさか、無理矢理やらせてるのか」
 栞が素直に魔界側に加担するなどとは考えられなかった。付き合いは短いが、彼女の意志の強さくらいは解っているつもりだった。拒む彼女に無理強いさせているのではないか、という懸念が真人の脳裏をかすめた。
「そんなことないよ。言ったでしょ、マヒトよりもいいタイグウだって」
「けど、栞さんが進んでお前らに味方するなんて思えねえ。何か理由が……」
 言いながら、気付きたくはない可能性に気付いた。魔界からしてみれば何の価値も無い、ただの敵でしかない存在である自分が生かされているこの状況を踏まえれば、それは自明であるように思えた。
 真人は語勢を強めた。
「ひょっとして、俺を盾に使ったのか。俺を人質にして、栞さんを従わせたのか」
 彼の口調が再び荒々しくなったことに、トルチェは眉をひそめ、下唇を突き出した。怒鳴られるのは嫌いだった。
「それもあるけど、でも、今はそれだけじゃないよ。ジジョウをセツメイしたら、わかってくれたんだってさ」
「事情? 何だよ、ソレ。オマエらは人間界に敵対して、それで争いを起こしてるんじゃねえのかよ」
「ちがうよ。アタシたちを悪いやつらの集まりみたいに言わないでくれる? アタシたちはこの世界のためにたたかってるの。そのショウコに、シオリはアタシたちに力をかしてくれてるじゃない」
 フン、とトルチェは不満気に鼻を鳴らした。
 どういうことだよ、と訊いた真人に対して、トルチェはそっぽを向いたままで答えなかった。知らん顔ですましている。
「オイ、教えろって。オマエらが人間界と争う理由って何だよ」
「やだ。マヒトなんかにおしえてやんない」
「……っとに、可愛げのねえガキだな」
「コドモあつかいしないでよね。アタシ、マヒトの何倍も生きてるんだから」
「歳は関係ねえよ、精神年齢の問題だ。頭の中がガキだっつってんだよ」
「あーっ、ひどーいッ! もうゼッタイおしえてやんないから」
 『玄』の将は完全に機嫌を損ねたようだった。しまったなと真人は心の中で舌を出した。ここは下手に出るほか無いと思って、真人は気分を鎮めようと一度深呼吸した。
「すまねえ、悪かったよ。謝るから教えてくれ」
「ダメ。そんな言葉づかいじゃ、セイイが感じられないよ」
 この野郎、と歯噛みをしながら、真人は頭を下げた。
「申し訳アリマセンでした。ワタシが悪うございました。どうか教えて下さい、魔将サマ」
 魔将、と呼ばれたことに少し気分を良くしたのか、トルチェは明後日の方角を向いていた顔を元に戻した。口もとには少し得意気な笑みが浮かんでいる。
「そうだねえ、まあ、そこまで言うんだったらおしえてあげないでもないけど……でも、ジョウケンがあるよ」
「条件?」
「えっとね、アタシとまたあそんでくれたら、おしえてあげてもいいよ。まだあるんでしょ、アタシが見てない“人魔術”。見せてくれたら、話してあげる。タイクツなの、アタシ」
 トルチェ様、と咎めるような声が横槍を入れた。今まで黙って話を聞いていた看守が、口を挟んだのだ。
「なりませぬぞ、トルチェ様。“人魔術”を使われぬよう、封印術を施した手枷をわざわざはめさせておりますのに。如何にトルチェ様の要望でも、こればかりは陛下のお許し無くば……」
「いいじゃん、ちょっとくらい。逃げようとしたってアタシがつかまえるからダイジョウブだよ」
「しかし、万が一ということも御座いますし」
「なによォ、万が一でもアタシが負けるっていうの?」
「い、いえ、そういうわけではありませんが……」
 トルチェの我儘に押され気味な看守を尻目に、真人は寝台に再び横になると、深く息を吐いた。しばらくは解答が貰えなさそうだということが解ったので、何だかもうどうでもいい気分になり始めていた。とりあえず、水と飯はまだか、と問いたかった。




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