第四十一話  「白(3) 翼、切り開く道」


 腕を組み、オフィールの占いの結果に首を捻っていた澪に、マァルが声をかけた。図々しくも、彼女の肩に手もかけた。
「それで、ミオはこれからどうするんだい」
 澪は組んでいた腕を解くと、自分の左肩に止まった手を蠅に見立てたかのように叩き落した。
「決まってるじゃない、さっき言った通りよ。捕まってるお姉ちゃんたちを助けに行くの。確か、王都にいるって言ってたわよね。だったらそこに向かうわ」
「でもさ、かなり遠いよ? 第一、ミオは許可証を持っているのかい」
「許可証……って、何?」
 やっぱり知らなかったか、とマァルは苦味を含んだ笑みを作った。先程の二割増で首を捻った澪に対して、オフィールが説明を引き継いだ。
「王都に入るためにはね、国から正式に発行された許可証が必要なんだよ。許し無く入ろうとしようものなら、軍の管理官に引っ捕えられてしまうのさ」
 そんな、と澪は思わず口を大きく開いた。
「秘密の抜け道とか、無いの? 監視が緩い場所とか、地下道とか」
 彼女の言葉に、マァルとオフィールは顔を見合わせた。決して示し合わせた訳ではなかったが、お互い眉間が狭かった。
「ばっちゃん、どうやら……」
「ああ、この子はまるで何も知らないらしいね」
 二人の小さなため息が空中で交差するのを見て、澪はたじろいだ。自分一人が状況を把握できていないのも、この様な態度を取られるのも、とても愉快とは言い難かった。
「何よ、一体。あたしが、何を知らないっていうのよ」
「だから、全部だよ」
 マァルが難しい顔で答えた。
「人間ってのは、魔界のことを少しも知らないんだな。いいかい、ミオ。王都の名はシンヴァーナリエスって言うんだけど、もうひとつ別の通り名があるんだ。即ち、“天上の都”さ」
「天井の都?」
「……今、何か違うものを想像しただろう」
 彼女の変換ミスを見透かしたように、マァルが白い目で澪を一瞥した。
「天の上だよ、天の上。王都は空に浮かぶ、巨大な空中都市なんだよ。外部からの侵入は絶対不可能。陸とは繋がっていないんだから、地下道なんてあるはずもない」
「浮かんでるって……雲みたいに?」
 マァルは深く頷いた。思ってもみなかった話の展開に、澪は一時停止ボタンを押されたかのように口を開けたまま固まっていた。
 しばらくして再生ボタンが押されたのか、澪は一気にまくし立てた。
「何で浮くのよ? おかしいじゃないの、そんな、街なんでしょ? 建物だっていっぱいあるんでしょ、重いんでしょ? それとも何、軽いガスか何かでも詰まってるわけ?」
 押されたのは再生ボタンではなく三倍速ボタンだったのかもしれない。彼女の唇が上下する速さに舌を巻きながら、マァルは何とか答えを返した。
「魔力だよ。住民たちから定期的に徴収した魔力で、王都は空中に漂っているのさ。何でもシンヴァーナリエス城の地下には、そのための巨大な装置があるって話らしいけど」
「じゃあ、どうすれば王都に行けるのよ」
「転移装置が、各国の首都にあるんだ。それを使えば、山も海もお構いなし、一気に王都まで瞬間移動! 原理は難しすぎてさっぱり解んないんだけどさ」
 自分の学識の無さを少しも恥じ入る様子無く、マァルは声高らかに説明した。オフィールは多少恥じ入ったらしく、この馬鹿孫が、と渋い顔で独りごちた。そんな祖母の忸怩たる思いに気付いているのかいないのか、マァルはにこやかに解説を続けた。
「で、その転移装置の利用に必要なのが、さっき言った許可証。これが無いと、絶対に通して貰えないんだよ」
「それじゃあ決まりだわ。許可証を手に入れて、この国の首都に行って、それでもって王都、よ」
 拳を作って、澪は意気込んだ。
「許可証はどうすれば貰えるの。それともマァル、アンタ持ってないの」
「いや、俺のは……」
「持ってるのね!」
 マァルがつい漏らした言葉に、澪は喰らい付いた。マァルの体に本当に喰らい付きそうな勢いでその肩をむんずと掴むと、澪は野獣のような迫力で口を開いた。
「悪いようにはしないわ、あたしによこしなさい」
 いつもは自分から進んで女の子に近付いているマァルだが、この時ばかりは即座に逃げ出さざるを得なかった。みっともなくも彼は自分より小さな祖母の影に隠れると、ひょろひょろとした声を発した。
「お、俺のは駄目。長い間申請待ちで、やっとのことで貰えた一時滞在許可証なんだからな! 一人分の使い切りだよ、ミオにあげたら無くなっちまうんだよ?」
「いいじゃないの、また申請すれば済むことでしょ」
「すっごく倍率高いんだよォ。次に貰えるまでに、何十年かかるか……」
「あたしは別に構わないわ」
「俺が構う!」
 二人の低次元な争いに丁度挟まれる位置に立たされたオフィールは、重々しく息を吐き出し、深く吸い込み、一気に音に変換した。
「いい加減におし!」
 芯のある老婆の大喝が、澪とマァルの鼓膜を痺れさせ、ひいては大脳までを痺れさせた。特に、オフィールの間近にいたマァルは被害も大きく、しばらくは瞼が釣り上がったままだった。
 岩壁に反響する自身の声が静まってから、オフィールはじろりと澪を見やった。
「ミオ、私としてはお前の行動に手放しで賛成出来ないね。W世陛下が本当に“獄門”を開けようとなさっているのならば、何かお考えがあってのことに違いないよ。そして、お前の行動は、それを阻むものだろう? 魔界に住む身としては、皇威に従うことこそが最良だと思っているよ」
 オフィールの言葉を、澪は頭の中で反芻した。瞬時には、老婆が何を言わんとしているのかが理解出来なかった。しばしの時間をかけ、ゆっくりとその真意を飲み込み始めるとともに、澪の表情が硬くなっていった。
「おばあちゃんは……あたしを行かせないつもりなの」
「そう怖い顔で睨むんじゃないよ。まるで私が、悪者みたいじゃないか」
「でも、王様の邪魔をするあたしは、敵だって言うんでしょ」
 さてどうかねえ、と老婆は尖った鼻を上に向けた。
「先に話した通り、私はマトア坊の死には疑問を持っていてね。あまりに公示された説明が少なすぎる。反逆罪、だなんてたったの三文字で片付けられて、納得がいくものかね。そういう意味では、王家を妄信している訳でもないのさ。何か隠された真実があるのなら、それを知りたいとは思うよ」
 曖昧な態度の老婆に、澪は対応に困った。自分の行く手に立ちはだかるというのなら、彼女と戦ってでも先に進むという確固たる決意はある。ただ、味方をしてくれるのかどうか、その見極めが困難だった。加えて言えば、確固たる決意はあっても、この老婆に勝つ自信はあまり無かった。
 痺れを切らせたかのように、澪は口を開いた。
「たとえおばあちゃんが反対しても、あたしは行くよ。許可証を手に入れる当てがマァルにしかないのなら、無理矢理奪ってでも」
 ギラリと澪の目が光った。標的とされたマァルは、身の毛がよだつ思いで震え上がった。
「じょ、冗談じゃない。ばっちゃん、ミオを止めてくれよ」
「情けないねえ。いいじゃないか、許可証のひとつやふたつ。お前が申請を出したのだって、どうせ、王都の女の子に会ってみたいっていう不純な動機からだろう?」
 ズバリ言い当てられて、マァルは口の中で何事かを言い訳した。立派な弁解が出来そうになかったのを彼自身解っていたのだろう、その内容は誰の耳にも雑音としてしか伝わらなかった。とは言え、心からの悲哀に満ちた表情は、老婆の同情を誘うには充分だった。
「やれやれ、この様子じゃあ取り上げるのは酷というものかね。すまないね、ミオ。マァルの許可証は諦めてやっておくれ。代わりに、私のをあげよう。昔取得して未使用のままだったものがあったと思うよ」
「おばあちゃん、協力してくれるの?」
 きょとんとした顔で瞬きをした澪に、顔中の皺を綺麗な曲線に変えてオフィールは笑った。
「誰が協力しないと言ったかね。かつての住民の娘は、住民みたいなものさ。自分の街の住民を見捨てるほど、私は冷酷な長ではないつもりだよ。もっとも今では、治める街は無くなってしまったけれどねえ」
 澪の顔もたちまち明るくなった。笑っていないのはというと、マァルただひとりだった。
「ばっちゃん、許可証持ってたのかよ! 俺があれだけ欲しがってたの知ってて、隠してたなんて……前に訊いた時は、持ってないって言ってたじゃないか!」
「嘘だよ」
「嘘かよ!」
「当たり前だろう、ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃないよ。馬鹿孫の低級な目的に、どうして私が貢献しなくちゃならないんだい」
「低級だって? 見下すなよ、いいか、ばっちゃん。優れた美的要素を含む対象を愛でる精神は、古来より尊ばれて……」
 マァルの講演など元より聞く気が無いのか、オフィールはあっさりと彼に背を向けた。途端に彼の講演は独白に変わり、マァルの声は心中の虚しさが大きくなるにつれ次第に小さく消えていった。
 消え入る彼の声を背景音楽に、オフィールは澪に向き直った。
「ここは『白』の国、首都はエッジナート。近頃は凶暴な獣が多いからね、かなり危険な旅路になるよ。それでも行くのかい」
 覚悟の上よ、と澪は胸を張った。
「それで、転移装置があるっていうその街は、ここからどれくらいかかるの」
「そうだねえ、この雪道を歩いて行くとなると……エッジナートまで、ふた月はかかるかねえ」
 澪は、胸を張らせたままで銅像と化した。




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