鳳馬に引かれ、荷馬車は砂漠を行く。平坦な地形のため震動も少なく、衙の周りの積荷も、大人しく自分のポジションを守っていた。樽やら箱やら無数にあるが、その中身は衙の知るところではない。
 車中は快適とは言い難かったが、外の日射を考えれば天国と呼べるのだろう。覆い布の隙間から覗いて見える外界は、レットが言った通り一面砂漠だった。先程までいたオアシスが、夢か幻のようである。
 しかし、その風景は衙が想像していたものとは多少違っていた。砂漠と言うからには、黄土色をした砂の海が広がっているものだとばかり思っていたのだが、実際の大地は砂と言うよりは岩盤だった。固く干からびていて、砂はその表面を僅かに覆っているにすぎない。岩石砂漠というやつだろうか。
「レット、君は平気なのかい。馬上は直射日光が酷いだろ? それに熱砂の照り返しも」
 平気平気、と手綱を握るレットは、進行方向を見たままで答えた。
「こんなのはもう慣れっこだからね。そりゃあ、最初は大変だったけど。六十年間商人やってれば慣れもするって」
 六十年という歳月が長いのだか短いのだか、衙には最早解らなかった。魔族と会話をすると、数十年・数百年単位での時間感覚が狂ってくる。
 鳳馬に跨るレットの小さな背中を見ながら、衙は尋ねた。
「あのさ、王都に連れて行かれたっていう二人の人間……無事なのかな」
 彼にとって、最も気になる質問だった。オアシスで聞いた話で解ったのは、二人の人間が王都に連れて来られたという事だけ。安否は不明のままなのである。
 さあ、とレットは素っ気無い返事を返した。
「そこまでは情報が無いからねぇ。『白』の将候補の方は無事だと思うけどさ。“獄門”開放っていう仕事が控えてる訳だし。もう一人の方は、人魔術師だっけ? W世陛下の御気分次第じゃないの」
「御気分次第って、そんな適当な」
「そんなものだよ、専制ってのは。まあ、人魔術師なんだったら大丈夫だとは思うけどね」
「何故?」
「『玄』の将あたりが、興味を持つだろうからさ」
 その言葉に込められた自信の根拠が何処にあるのか、衙にはよく解らなかった。が、とりあえずは安心してよいということか。
(不安がっていても仕方が無いし、レットの言葉を信じるしかないか)
 となれば問題は、もう一方の二人である。目的地で再会できる事を信じて前へ進むと決めたものの、居場所が解るものなら知りたかった。
「レット、“門”を通過してこっちに来たのは俺だけじゃないんだ。魔界に来た仲間全員で人間界に帰れないと意味が無い。俺の出口はあのオアシスだったけど、近くに他の人間はいない様子だった。でも、同じ入り口をくぐったんだから、出口は近接するものじゃないのかな」
 レットは少し考え込むように、ふぅん、と唸った。
「魔界へは、どうやって来たんだっけ?」
「特別な術で、“聖禍石”の機能を真似たんだけど」
「それじゃあ、何処に飛ばされても不思議は無いね。“聖禍石”を使って“門”を開くのだって、慣れない内は思ってもみない場所へ飛ばされることもあるんだ。ましてや、ツカサたちは魔界に来たことも無いんだから。その“門”を通過する時に逸れたっていう仲間、飛ばされた先の手掛かりとかはないの? でないと、合流したいって言われても引き合わせようがないよ」
「何しろ、初めての事だったから……“門”の通過中に周りを見てる余裕なんてなかったよ。一瞬だったし」
「出口が他国だったっていう可能性もあるからね。やっぱり、王都で待つのが一番現実的じゃないの。時間も無い訳だからさ」
 レットは腰の皮袋から一口、水を飲む。衙は先刻の経験から、あれは幾らだろう、とついつい考えてしまう。そんな彼の内心など知るはずもなく、レットは話を続けた。
「でも、そんなに心配することないよ。国選商人一級の資格があれば、各国への出入りも自由に出来るようになるからね。そうしたら、王都組の救出を終えた後で、各地の情報を集めればいい。逸れた仲間も、無事ならその内に見つかるでしょ」
「そう……だね。でも……」
 何か言いたそうな口振りで、しかし衙は黙り込んだ。
「何? 随分と気の無い返事だね。不満でも?」
「いや、そんなことはないよ。こっちとしては、望める最高の選択肢だと思う。だけど……」
「だけど、何? はっきり言いなよ、イライラするじゃないか」
 眉をしかめたレットが、車内をちらと振り返った。
 衙は、自身の率直な疑問を少年にぶつけた。
「だけど、どうして君は、会ったばかりの俺にそこまでしてくれるんだ? それも、人間の俺に」
 はは、とレットは短く笑った。
「別にツカサのためって訳じゃないよ。僕も低賃金労働者が欲しいところだったんだ。王都での商売の準備には、どうしても人手が必要だからね。ツカサが人間かどうかなんて大した問題じゃないさ。言ったでしょ、全ての魔族が人間を敵視してる訳じゃないって」
「でも、俺がやろうとしているのは、この世界を治める者の意思に明らかに反することだよ。そんな俺を手助けしたとなったら、君だって共犯で罪に問われるんじゃ……」
「そうだね。ツカサたちの計画が成功したとすれば、共犯者一同、例外無く極刑かな」
 あくまで軽い口調で言ってのけるレットに、衙の疑問は募る一方だった。
「じゃあ、何故」
 思わず声に熱がこもった。
「どんな答えを期待する?」
 予想外に聞き返されて、衙は返答に窮した。そんな彼の姿を見るのを、レットは楽しんでいるかのようだった。
「じゃあ、三択問題にしてあげるよ。次の一番から三番の内、正解はどれでしょう?」
 そう言って、レットはすらすらと三つの候補を並べ上げた。

 一番:僕はレジスタントの一員で、現政権の崩壊を望んでいる。
 二番:僕はツカサを助けるフリをしているだけで、本当は軍に引き渡すつもりでいる。
 三番:僕は実は人間で、ツカサたちと目的を共有している。

「さ、お好きなのをどうぞ」
 衙はしばしの間、レットの提示した選択肢を反芻していたが、ややあって答えた。
「……何か、どれも違う気がする」
 レットは器用にも、馬上で拍手をしてみせた。
「大正解〜。やるじゃないか、ツカサ。君ってもっと騙されやすい奴だと思ってたよ」
 酷い言われようであるのと、懸命に吟味した選択肢が全て誤りであったのとで、衙は思わず脱力した。
「じゃあ、本当は何なんだよ?」
「特に理由はないよ。強いて挙げるなら、“退屈なる日常に鮮やかなる刺激を”ってところかな。軍隊相手に喧嘩売るなんて、スリルがあって楽しそうじゃないか」
 スリル。予想もしていなかった単語が少年の口から飛び出して、衙は呆気に取られた。
「これでも、結構危ない橋を渡ってきたんだよね、商人として。でも今回の橋は、今までで一番やばそうだよ」
 レットはわくわくして堪らないとでもいうように、鼻歌を歌い始めた。まるで、遠足前夜の子どものようだ。この少年の場合、随分と危険な遠足ではあるが。
 レットの神経構造がどうなっているのか全く理解出来ず、衙は「はあ」とか「へえ」などという間抜けな声しか返す事が出来なかった。
 そんな彼を尻目に、レットは尚も楽しそうに鼻歌を続けるのだった。
 その合間にこんな呟きが入っていた事など、衙は知らない。

 ――やっぱり、ツカサって騙されやすいや。




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