第二十五話 「星だけが静かに輝いて」 アスファルトに出来た大きな椀型の窪み。倒れた電信柱と街灯。放電する電線。崩れ落ちたコンクリートの壁。 「おぉ、派手にやってんなァ」 荒廃した道路の風景に、シーインは口笛を吹いた。 その声に気付いた小さな影が、その幼い顔で振り返る。 「アレ、どしたの。もうおわったの」 ああ、と言ってシーインは左手で引きずってきた 「お前の方はどうよ、トルチェ。まさかこれだけぶっ壊しといて、まだカタが付いてねぇとか言うなよ?」 「今おわるトコ……ハイでーきた」 暗闇に、黒い光の球が浮かぶ。先程大地を破壊した時のような烈しさを持たない、夜の静寂に調和するような光。 その光球の中には、一人の女の子が収まっていた。眠っているかのように、その瞳は穏やかに閉じられている。 捕獲型『玄』魔術、“ 「“もう一つの探し物”、これにて回収完了か」 トルチェのすぐ傍で歩を止めて、シーインは満足そうに肩を下ろした。 『朱』の将に向かって、『玄』の将が首を傾げた。 「このおねえちゃんが、ホントにテーゼンワイトの血をひいてるの? アタシにはただのニンゲンにしか見えないけどなぁ」 「この目でさっき、魔力も家紋も確認した。間違いねェ」 「そう。それじゃ帰ろっか。セドロスの方もそろそろだろうしね」 栞を包み込んだ光球と共に、トルチェの体がふわりと宙に浮き上がる。が、1メートルも上昇しない内に、どちらもその動きを止めた。 あ、とトルチェの口が丸く開いた。 「起きたの、おねえちゃん」 “影牢”の中の栞の瞼が、うっすらと上げられたのだった。 靄のかかった栞の意識が、亀のような遅さで回り始める。 (確か、さっきまで、澪と二人で。その後、爆発に巻き込まれて……それで) 彼女が辺りを見回し、己の置かれた状況を理解すると共に、夢現だった表情は見る間に変化していった。靄は急速に四散した。 光の壁を強く叩いて、栞は声を張り上げた。 「何、これは。私をどうするつもりなの」 「マカイに来てもらうの」 事も無げにトルチェは答えた。当たり前じゃない、と言わんばかりに。 「どうして……嫌、出して。ここから出して」 その手が壊れそうなくらいに激しく何度も叩き付ける。しかし、壁はびくともしない。彼女の口と手の発する音だけが、空しく響くだけである。 「ムダだよ、あきらめて。そんなにイヤがることないって。お城はキレイだし、ごはんもおいしいしね」 ――それに、おねえちゃんのふるさとなんだから。 トルチェの一言に、栞の鼓動が止まる。栗色の瞳が大きく開かれる。 (私の、故郷……。私、わたしは……) 脳裏に過るのは、不安と恐れ。不自然な彼の笑顔。その手を振り払った自分。また指摘するというの、その真実を。 瞳孔がひゅうと細くなると同時に、栞の瞳の色が豹変した。 「……出して」 一粒の雨のように落とされたその言葉は、黒い牢獄の中で白い渦を巻いた。 「私をここから出して!」 内からの圧力に耐えかねて、“影牢”の表面に亀裂が走る。微かに開いた隙間から、白い光の帯が差す。雲間から降りて来る陽の光、天使の梯子のように。 「ちょ……っ、何コレぇ!?」 慌てたトルチェが、黒球に向けて必死に両手をかざした。崩壊しようとする術を留める為に、魔力を送り込み続けるが、送る側から力が消えてゆく。 「シーイン、見てないで手伝ってよ! マリョクジョウカジュツだよ、コレ!」 「魔力浄化術だァ? 『白』の最上位魔術じゃねぇか……!」 事の重大さを理解したシーインが、今まで左手に下げていた 栞の瞳に映った 「……つかさ、さん」 電池が切れたように、栞の放っていた光が暗転した。“影牢”に出来た亀裂はみるみる塞がり、数秒後には元の滑らかな球体に戻っていた。 トルチェは額の汗を拭い、大きくため息をついた。 「あぶなかったぁー。ユダンしてたよ」 黒球内でへたり込んだ栞の前まで体を浮上させて、シーインが言った。彼もまたトルチェ同様、冷や汗が引き切ってはいなかった。 「ツカサ、ってのはアイツの事か?」 地面に伏したままのその姿をちらと見やって続ける。 「安心しな、まだ死んじゃいねぇ。虫の息だが生きてるぜ。だが、もし、お前がまた抵抗するような事があれば――殺す」 栞は項垂れたまま、シーインの方を見ようともしなかったが、最後の言葉が彼の口を出た瞬間に僅かにその肩を震わせた。 シーインは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 「大人しく、付いて来るよな?」 ああ、また。 また、私のせいで。 彼を傷付けた。 音も無くゆっくりと、栞はその首を縦に振った。 真人と澪が駆け付けた時には、『玄』と『朱』の将は民家の屋根を越える辺りまで上昇していた。そして、栞を包み込んだ光の球も。 このまま“門”を開いて魔界へと帰るのであろう事は、容易に想像できた。 澪が天を仰いで、喉が嗄れそうな声で叫んだ。お姉ちゃんを返しなさいよ。 夜風に阻まれながらも、その叫びは辛うじてシーインの耳に届いた。胡乱な目付きで下界を見やると、彼は隣の『玄』の将に話しかけた。 「オイ、トルチェ。下の奴等ピンピンしてんじゃねぇか」 あは、とトルチェは誤魔化すように笑った。 「人魔術師のおにいちゃんとたたかうの楽しくってさぁ」 「それでついつい戦闘を長引かせて、そのまま有耶無耶に終わっちまったってかァ?」 お前アホか、とシーインは呆れ帰り、罵られたトルチェは頬を風船のように膨らませた。 「わかりましたよーだ。トドメさせばいいんでしょ」 トルチェがその細い腕をぐるぐると回す。 地上からは、澪の叫ぶ声が尚も続いていた。お姉ちゃんを連れていくなんて許さないから。 ちょっと待て、とシーインはトルチェを制止した。黒球の中の栞を一瞥する。 「この女の妹、って事は……アイツも使えるかもしれねぇな」 思い返せば確かに、シーインが10年前に見た『白』の将の子どもは二人。妹の方は、今はまだ魔族の血が目覚めてはいないようだが、潜在的な利用価値は充分のように思われる。 「トルチェ、あの女も魔界に連れてくぞ。捕まえろ」 薄笑いを浮かべ、シーインは言い捨てた。 「もう、えらそうにメイレイしないでよ。シーインのえばりんぼ」 「いちいち騒ぐな。さっさとしろ」 ハイハイ、と答えたトルチェに向かって、栞の声が響いた。 「待って。澪には、妹には手を出さないで」 不機嫌そうな疑問感嘆詞を口から吐いて、シーインが振り向く。 「そんなの知ったこっちゃねぇよ。約束したのは、ツカサって奴を殺さねぇ事だけだ。約束は守るが、それ以上の事に文句を言われる筋合いはねぇな」 「そんな……! やめて、私は行くから、だからやめて」 トルチェの手の上には、既に黒い光球が現出していた。“影牢”である。大きく振り被って、トルチェはその球を下界へと放り投げた。 天空から隕石のように落ちて来る球体。自分に向かって一直線に落下するそれを瞳に映しながら、澪は声を失った。 突然全身が萎縮してしまったかのようで、彼女は動くことが出来なかった。何処か幻想的な黒い光に、眼が吸い込まれる。 全身がその光に照らされる。明るい色ではないのにまぶしい。 (ダメだ……ぶつかる) 最後の一瞬、黒球の動きがコマ送りのように遅れて見えた。 「馬鹿やろう!!」 その声が届くと同時に、自分の体が自分以外の力によって動かされるのを澪は感じた。突き飛ばされたのだ、声の主に。 |