夜空に火花が散る。赤・青・黄――様々な色の光が閃き消える様は、火花と言うよりは花火と言った方が近いかもしれない。花火師は二人。八方真人と、トルチェ・リクゼンである。
「どう、あきらめる気になった?」
 にっこりと、トルチェが笑った。
「いろんなジュツをみせてもらえて楽しかったけどさ。おにいちゃんもわかったでしょ?」
 アタシにはかなわないというコト。そう言って、アイススケートの選手のように、トルチェは空中で一回ターンして見せた。
 かわいくねぇガキだな、と真人は毒づいた。指先に力を集中させると、紋を切りながら言の葉を唱え始める。
「望ムハ“(ホムラ)”、願ウハ――」
「ハイ、そこまでーっ」
 疾風の如く真人との距離を詰めて、トルチェは彼の手をぴん、と小突く。と、黒い稲妻が走り、真人の腕が大きく弾き飛ばされる。
 宙に描かれた紋章は淡く失せ、術は発動せずに夜の闇に消えた。
 痺れる右手を逆の手で抑えながら、真人はトルチェの姿を睨み付けた。小さな子どもは、相変わらず無邪気な笑顔のまま、空中であぐらを掻いている。
 先程からずっとこの調子なのである。術は発動する前に潰されるか、運良く発動できたとしても、相手の術に掻き消されていた。
 そして、“運良く”発動した術はおそらく全て、『玄』の将が敢えて見逃したものだ。どんな術だか見てみたい、という少女の好奇心に許されて。
「ニンゲンはフベンだね。いちいちブツブツとなえなきゃいけないなんてさ。マゾクなら、ぱぱっとジュツがつかえちゃうのに」
 夜風に揺れる、その蜜柑色のポニーテール。
 からかうような物言いが、真人の苛立ちを煽る。
「うるせぇな。余計なお世話だ」
 大体オマエ、と真人は少女の髪を指差した。
「『玄』魔族のくせに、何なんだよその髪の色は」
 魔族の瞳と髪の色は、魔力の『色』によって決定する。『玄』魔族ならば当然黒、個人差があるとしてもせいぜい灰色が限度。が、トルチェの髪の色は明らかにその限度を越えている。
 ふふん、とトルチェの鼻息が荒くなった。髪の毛を見せびらかすように摘まむ。
「イイ色でしょ? まっくろなんてやぼったいよ。だからそめたの」
 何なんだコイツは、と真人の口は閉まる動作を忘れた。
「ちょっとぉ、そんなカオしないでくれる。ここまでそめるの、タイヘンなんだから」
 その髪を鮮やかな蜜柑色に変えるために、相当に高価な染料を用いたのである。それでも微かにくすんだ色になってしまうのは、元々の色が深い漆黒である以上、仕様の無い事。しかしトルチェにとっては少しばかり不満が残っていた。いつかもっと綺麗に染め直そうと思っている。
「だいたい、おにいちゃんの色だってかわってるじゃない。アタシのコト言えないよ」
 実に痛い所を突かれた。ぐっ、と真人は言葉に詰まる。本当に可愛げのねぇ、と心の中で悪態付いた。
 さーて、とトルチェは両腕を扇風機のように回した。
「そろそろおわらせないとね。アタシのニンムは、おにいちゃんとたたかうコトなんかじゃないんだもん」
 回すのを止めた二本の細い腕を、天にかざす。その上空に、黒い光球が出来上がった。
「……マジかよ」
 直径50センチ程の球の中に含まれた魔力の量は、真人にそう言わせるに充分だった。まともに喰らえば、ひとたまりも無い――。
 「いっけぇ」だか「えーい」だか、トルチェが叫んだ気がするが、真人には聞き取る余裕がなかった。向かい来る黒い光を回避すべく、高速で上昇した。
「おっかけろぉ!」
 何とも緊張感に欠けるトルチェの掛け声に、黒球は真人を追って上昇した。彼にしてみれば緊張感が在り過ぎる。
「遠隔操作まで……何てガキだ」
 何とか振り切ろうと、急降下。地面すれすれで滑空。後方で弾ける大地。爆音と爆風。
 直接の被弾は避けたものの、巻き起こった風に吹き飛ばされて、真人の体が地を滑った。ブロック塀に当たって、ようやく止まる。
 道路のアスファルトに出来たクレーターと無数の亀裂。土煙の中で、細い水柱も上がっている。水道管が破損したらしい。
「こりゃあ、復旧工事が大変だな……」
 民家に直撃しなかっただけでも、幸いだったと言わざるを得まい。しかし奇妙な事は、辺りがやけに静かだという事である。これだけの騒ぎを起こせば、近隣の住民が騒ぎ出して然るべきなのだが。
 夜空に漂っている小さな影は、攻撃を外した事を残念がっている様子。その『玄』の将に向かって、真人は声を上げた。
「オマエ、この辺りの人達に何かしやがったのか。静かすぎるじゃねぇか」
 トルチェはぺろりと舌を出した。
「きづいた? ちょっとねむってもらってるの。ジャマされるとこまるから。あんまり人目にふれるなって、クロスフォードさまにも言われてるしね」
 少女が術を行使したのは、戦闘を始める前。一種の催眠術のようなもので、並の人間ならばあっさりと眠りに付いてしまう。夜の訪れを早めるかのような領域型『玄』魔術、“常闇(とこやみ)”。
 この近辺一帯に張られた“常闇”の効果で、魔術に抵抗力を持たない人間は皆、安らかな眠りに落ちていたのだった。
「そーゆーワケで、エンリョなく思いっきりやれるからシンパイしないでっ」
 叫ぶと同時に、トルチェが第二弾を放つ。黒光球垂直落下。
 何の心配だ、と心の中で絶叫して、真人は転がるように飛び退いた。つい今しがたまで彼が背を預けていたブロック塀が光に包まれ、大破する。
(とにかく一回、身を隠さねえとハナシにならねェ。このままだとアイツのペースに振り回される)
 土煙をブラインドに、壊れたブロック塀の陰に真人は身を潜めた。逃げている最中は気付かなかったが、動くのを止めた途端に、自身の呼吸が乱れている事に気付いた。相手の軽いノリに惑わされていたが、消耗は確実にあった。それもかなりの量で。
「あれれ? ドコ行っちゃったの?」
 真人の姿を見失ったトルチェは、周囲を見回しながら地面に降り立った。
 むう、と一度大きく唸って、言った。
「ま、いっか。それよりテーゼンワイトのおねえちゃんをさがさなきゃね」
 真人に気付かず、その傍らを通り過ぎるトルチェの声。それは、真人の耳にも届いていた。
(そうだ、アイツの目的はあくまで栞さん……)
 このまま戦っても勝ち目は無い。それならば。
(アイツより先に栞さんを見つけて、一先ずここは退くしかねぇ)
 栞の帯びる魔力さえ落ち着けば、敵もそう簡単に居場所を探り当てる事は出来なくなる筈である。加えて、魔族が人間界に長く留まる事はそれだけで彼らにとって不利。昼間の行動は好まぬ筈であるから、夜が明ければ魔界に戻る確率は高い。つまり、退魔師側としては、この場を凌げれば態勢を立て直す時間が取れる。
 石塊の陰からトルチェの姿を横目で窺いつつ、周りの様子に目を配る。彼が探しているのは、栞の姿と、もう一人――彼女の妹。
(無事か、二人とも)
 空中で交戦した後とは言え、偶然にも黒光が落ちたのは真人が飛び立った場所の近くである。巻き込まれた可能性も無くは無い。
 その時、真人の耳に微かに聞こえた声は。姉を探す妹の。
 思わず、魔将に発見される危惧など忘れて飛び出すと、彼は声を張り上げた。何処だ、と。
 回していた首が左を向いた時、風になびく赤いリボンが彼の目に映った。何を考えるよりも先に駆け出すと、その姿が徐々に明らかになる。
 駆け寄って来た真人に気付いたのか、彼女は姉を呼ぶ声を止めて振り向いた。
「大丈夫か、オマエ」
 澪の前で脚を止めた真人は、肩を上下させながら言った。澪の表情が、泣き出しそうに歪む。
「あたしは大丈夫……だけど、お姉ちゃんが。お姉ちゃんが見つからないの」
 さっきの爆発ではぐれて、と澪は続けた。抱え込むように体に回された腕が、木枯らしの中にいるかのようにかたかたと震えている。
(やべぇな。見つかったら、栞さん一人で逃げ切れるワケがねえ)
 敵の攻撃をかわすことで精一杯だった自分の責任だ。魔将をもっと、二人から遠ざけるように戦うべきだったのに。真人の奥歯が音をたてる。
「とにかく、栞さんを探すぞ。オマエは俺から離れんな」
 真人が澪の手を取った瞬間、反射的に彼女の顔がしかめられた。口からは痛みを含んだ声が漏れる。
「オマエ……怪我して」
 澪の着ているパーカーは、左腕の部分が大きく裂けていた。周りが赤く滲んでいる。出血量は少なくはなかった。
 今思えば、自分が駆け付けた時からずっと、右手で傷口を押さえていたのだった。気付いてやれなかった己の目の節穴振りに、真人は小さく舌打ちした。
「平気よ、これくらい。それより早くお姉ちゃんを」
「バカ。強がんじゃねぇ」
 真人は自分の頭に手をやると、巻いていた臙脂色のバンダナを外した。今までその大半を覆っていた布が取り払われて、金色の髪が暗闇に浮かぶ。夜空の下で、それは昼とはまた違った光を彩っていた。何処か静かで物悲しいような、落ち着いた色合いだ。
 真人は澪の腕を取ると、無理矢理傷口にバンダナを巻き付ける。
「とりあえずコレで止血しとくぞ。汚いとか、文句言うなよな」
「……言わないわよ、別に」
「洗って返せよな。気に入ってんだからよ、ソレ」
「……OK」
 普通こういう時は、手当てをされた方が『洗って返す』とか言って、した方は『いいよ別に』とか答えるのが定番ではなかろうか。と澪は思ったが、口には出さなかった。
 その代わりに、と言う訳ではないが、澪は右手で耳元に手をやると、頭の左右に結んだ細いリボンを解いた。衣擦れの音がして、二本の赤いリボンが澪の手に収まる。
 応急処置を終えた真人に、澪は右手を突き出した。
「これ、借用書代わりに預けとく。あたしがバンダナ返す時に返して」
 アンタからタダ借りするの、何か気持ち悪い。そう付け足した澪に、真人は思わず笑いを零した。一種の負けず嫌いみたいなものである気がして、その意地っ張り振りがどうにもおかしかった。
 突然笑われた事で目付きが鋭くなった澪の手から、真人は赤いリボンを抜き取った。
「解った。預かっとく」
 ジーンズのポケットにリボンを滑り込ませた真人に、澪は言った。
「乱暴に扱わないでよね。お気に入りなんだから、ソレ」
「俺に使いようがねェだろが、リボンなんか」
 そういう意味じゃないと突っ込もうとした時、リボンを付けた彼の姿が脳裏に浮かんで、澪の言葉が止まった。こんな時でなければ、笑い転げるところだった。
 そんな澪の心中は知る由も無く、真人は改めて彼女の手を掴んだ。今度は、怪我をしたのとは逆の右手である。
 真人の声に、再び緊迫が戻る。
「さ、急いで栞さんを探すぞ。はぐれたってのは、一体どの辺――」
 彼は言葉を続けられなかった。握った手が震えているのは、自分が震えているからか、それとも澪が震えているからか。それすらも解らなかった。
 最早、栞を探す必要など無かった。彼女は彼の視界の中に居たのだから。
 黒い光の球に閉じ込められた彼女は、『玄』の将と共に夜空に浮かんでいた。




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