第十五話  「White Heat」


「ブラント・ファルブリー……!」
「おやぁ、覚えていて下さったとは光栄ですね。一度名乗っただけですのに」
 地上に降り立ったブラントのブーツが、澄んだ音をたてた。
「昨日聞いたばかり、だからな」
 (しおり)を自らの体で隠すように、(つかさ)が一歩前へ出る。
「俺達以外の4人を、どうした」
「別にどうもしていませんよ。ただ、檻の中で大人しくして頂いているだけです。本当は貴方も檻に入って頂く予定だったんですが……」
 どうも上手くいきませんでしたね、とブラントは残念そうに眉根を寄せた。
 衙の後ろで小さくなっている女の子を捉えたブラントの目が、彼女を識別するかのように鋭く光った。
(やはり、所有者は替わっていたようですね。“もう一つの探し物”も見つかるかと期待したんですが)
 (てのひら)を上に向けた右手を差し出して、ブラントは穏やかに言った。
「さ、“聖禍石(せいかせき) ”を出して下さい。後ろのお嬢さんが持っている事は分かっています。素直に渡して頂ければ、危害は加えません」
 金色の光。それが衙の返答だった。
「まあ、予想通りと言えば予想通りなんですけどねぇ」
 衙の右手が輝いたのを見て、ブラントは仰々しくため息をついた。
「貴方も檻に入れられれば良いんですが、僕が制御できる数にも限りがありますし。説得が不可能ということになれば、実力行使も()むを得ませんか」
 白い手袋をはめたブラントの指先で、火花が踊る。
「栞さん、下がってて」
 衙は一層右手に力をこめ、重苦しい声で言った。

*  *  *

 振り下ろした剣は、炎に押し戻された。董士(とうじ)は小さく舌打ちをした。
「どうやらこの火球、物理的攻撃が加えられると反応して、即座にその部分へ炎を集中させるみてぇだな」
 董士と共に炎の中に閉じ込められた真人(まひと)は、苦々しくつぶやいた。
「ならば、“降魔(ごうま)能力(ちから)”で……!」
 董士が刃に能力(ちから)を集中させようとした時、赤い壁は大きく波打ったかと思うと、無数の炎の槍と化して彼を襲った。
 先程より大きく舌打ちして、董士は剣を数度振るった。薙ぎ払われた炎の槍が、壁へと戻る。
「どうも、“降魔の能力(ちから)”にも敏感に反応して、妨害してくれるらしいな」
迂闊(うかつ)に“人魔術(じんまじゅつ)”の詠唱もできねぇってわけか。ご丁寧なこった)
 360°あらゆる角度から飛び出す槍は、防ぎきれるものではない。強行突破を図れば、炎に貫かれる事は疑いない。 
 しかし、炎の壁自体は、主体的に攻撃してくるわけではない。相手を倒す事を目的としない、明らかな足止め用の術。かと言って、このままこの状況に甘んじていては、“聖禍石”が奪われる。
 ――どうする
 すすきもまた、同じ問いを(おのれ)に投げかけていた。彼女の行使する巫呪(ふじゅ)もまた、“降魔の能力(ちから)”を基盤としている。炎に閉じ込められて即座に試みた術は、炎の槍に見事に阻まれた。自分の服の一部を焦がしただけで済んだこと、何より傍らにいる(みお)に当たらなかったことが幸いだった、と言うべきか。
「すき(ねえ)、お姉ちゃんが狙われてるんじゃ」
 “聖禍石”を持っているから。
「大丈夫だよね。誰かがお姉ちゃんと一緒にいて、お姉ちゃんを守ってくれてるよね」
 赤き色と燃ゆる音は、檻の外の情報を全て遮断している。
 澪の祈るようなうわずった声に、すすきは答えた。不安で仕方が無い自分の心にも言い聞かせるように。
「ああ、きっと、大丈夫だ」

*  *  *

 皮膚を突き刺す痛みに、衙は歯を喰いしばった。放たれた七つの火炎弾の内、五を叩き落すのがやっとだった。直撃を避けたものの、残りの二発は彼の左肩と右腿を焦がした。
「貴方の戦い方は知っていますよ。『灼炎(シャクエン)』のデータで見させて頂きましたから。掌に集めた能力(ちから)による接近格闘戦、でしょう?」
 ブラントの周囲に、再び火の玉が現れる。今受けた攻撃より、更にその数を増したようだ。
「近付けさせなければ問題無い、ですよね」
 朱色の灯の中、ブラントの口が綺麗な弧を描いた。
「下がってて!」
 彼の名前を呼び、駆け寄ろうとする栞に、衙は叫んだ。
 今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て、衙は微笑んだ。
「大丈夫、だから」
 衙は口元を再び引き締めると、波打つ赤髪の男へと視線を戻した。
「あまり長い間、貴方に大丈夫でいられると困るんですけどねぇ。他の退魔師のお仲間も、駆け付けて来るでしょうし」
 そう言って、ブラントは右手を高く掲げた。
「早々に、片を付けさせて頂きますよ」
 ひゅっ、とその右手を振り下ろすと、彼の周りで揺らいでいた火の玉は、一斉に衙へと突進した。
 衙は奥歯を固く噛みしめると、襲い来る火炎弾へ向かって自ら走り込んだ。
(完全な回避は不可能、と見ての攻守転換ですか。思ったより素早い判断ですね)
 衙の行動に、ブラントは細い眉を少し上げた。
 衙は右手首に左手を添え、力を込める。右手の光が、その金色の輝きを強めた。“昊天(こうてん)”である。
 長く気合を発して、衙が右腕を突き出す。光とぶつかった火球が弾け飛んだ。が、“昊天”の軌道上に乗らなかった数発は、彼の体に当たって爆ぜた。
 元より何発か喰らうことは覚悟の上だった。体のあちこちに走る激痛で被弾を認識しながら、衙の瞳は一点だけを見つめていた。
 “昊天”の終着点――ブラントの心臓を。

*  *  *

「“人魔術”を使え、真人」
 董士が鋭い口調で言った。
「何言ってんだよ、董士。“降魔の能力(ちから)”は使えねぇだろ、この状況じゃ」
 打開策が思い浮かばないためか、焦りと苛立ちに満ちた声で真人は答えた。
「この状況下だからこそ、“人魔術”が必要だ。お前が術の詠唱をしている間、俺が炎を喰い止める」
 見開いた目で、真人は董士の顔を見つめた。
 数秒沈黙した後で、頼む、と真人は短く言った。董士の瞳には、僅かも退()く気配が無かった。
 真人は右手を顔の高さに上げると、人差し指と中指だけを立てた。
「それじゃ、始めるぞ。準備はいいか?」
 無言で頷いた董士は、(つか)を握る手に力を込めた。




Copyright (c) Takamura Machi. All Right Reserverd.