いつもより早い朝食は、いつもより騒々しかった。とは言え、その騒々しさの大半は、澪と真人の幼稚な口喧嘩によってもたらされたものだったが。
「大体、オマエは起きるのが遅すぎなんだよ。朝飯が完全に出来てから起きてきたのオマエだけだぞ」
「うっさいなあ。アンタに関係ないでしょ、そんなコト」
「関係あるね。オマエ以外は皆、朝飯の支度手伝ったんだよ。もちろん俺もな」
 栞さんおかわりお願い、と真人は空になった茶碗を差し出した。それに対抗するかの如く、「あたしも」と澪が声を張り上げた。
 「太るぞ」と言った真人に、澪は再び「うっさい」と言った。
「こんなに賑やかな朝餉(あさげ)は久々だな」
 すすきが、楽しそうに玉子焼きを一口。
「まあ、日常ではないな」
 董士の口調も、心なしか柔らかい。
 栞が澪の分のおかわりを盛ると、四合炊いた炊飯器は空になった。自分も二杯目を頼もうかと思っていた衙は、持ち上げた空茶碗をテーブルに戻した。
「さて、これからの予定だが」
 朝食を食べ終えたすすきは、箸を置いて言った。澪と真人はまだ二杯目を片付けている。
「昨日話した通り、これから私の家に向かう。栞、“聖禍石(せいかせき)”は」
 その言葉に、栞は服の中に隠れていたペンダントを引き出した。金のプレートの中心には、乳白色の石が静かに収まっている。
 首の後ろに手を回し、ペンダントを外そうとする栞を、すすきは制止した。
「まだ、お前が着けていれば良い」
 そしてその後で、言いにくそうに「着け納めになるかもしれんしな」と加えた。
(それに、私が預かってしまえば、それこそお爺様は『高瀬(たかせ)』を家に上げぬと言い張るに違いない)
 『高瀬』の(とが)について仁斎(じんさい)は口を割らなかったし、そのことを栞と澪には話していない。親の形見を手放すためにわざわざ出向いた姉妹を追い返すなど、そんな事態は断じて引き起こしたくない。
 ただ、すすきには仮説があった。『(ひいらぎ)』の咎も、『高瀬』の咎も、彼女の頭の中では確信に近い推測として固まりつつあった。
 しかしそれは同時に、『時白(ときしろ)』の咎をも示す推測。祖父と話していて感じた悪寒や吐き気の原因は、そのせいに違いなかった。
 単純に在り得ないと思っただけか、それとも自分達の側にも否があることを認めたくなかったためか。彼女はまだ自分の仮説を信じ切れないでいた。
 兎に角、“聖禍石”の移送が終わったら、祖父に真実を問質(といただ)そう。結論付けるのはそれからでも遅くは無い――すすきはそう考えていた。
 眼前の大事を(おろそ)かにしたのが(まず)かったのだろうか。数十分後、この時栞に与えた自分の指示が如何に軽率だったかと、彼女は悔やむこととなった。

*  *  *

 それは丁度、スイッチが入れられたかのように。
 零から百へと。完全な無から莫大な有へと。
「初めから、移送の時を狙っていたのか……!!」
 歯軋(はぎし)りをするすすきの瞳には、紅の炎が映っていた。
 壁。
 (たけ)(ほむら)の。

 朝食を終え、六人そろってすすきの家へと向かう途中で、それは起こった。
「すき(ねえ)の家って、おっきいんだろうねー」
「そりゃもう、大きいよ。もしもこの町内で、タクシーの運転手さんに『時白さんのお宅まで』って言えば、行けちゃうだろうね」
 好奇心に満ちた澪の声に、衙が答えた。4月に越してきたばかりの澪と栞は当然知らなかったが、町内では木造平屋建て純和風屋敷『時白』は有名だった。
「それは楽しみですね」
「あまり過度な期待を抱かれても困るのだが」
 栞の台詞に、すすきが苦笑いをする。
「ねえねえ、アンタの家も広かったりするワケ?」
 澪が真人に話を振った。
「まあ、小さくはねぇと思うけど」
 退魔師の一族は基本的に長い歴史を持ち、伝統と格式を重んじるため、その家は大きな日本家屋であることが多い。
「じゃあ今度見に行こっと。で、ついでにお茶の一杯でもごちそうに」
「いやしいヤツだな」
「何よー。あたしは少なくとも三度は、アンタにお茶を淹れてやったわよ」
「いやしい上に恩着せがましいヤツか、オマエは」
 朝食の時と同じく、会話の中心は澪と真人だった。とは言え、残りのメンバーは二人の会話が面白いので敢えて傍観者に回っている、という節もあるのではあるが。
「まあ、お茶の話は別としても、一度お伺いしたいですね。真人さんのお宅にも」
 朝特有の、透き通るような太陽の光。その眩しさに目を細めながら、栞が言った。彼女の隣を歩いている衙が、相槌を打つ。
 董士の家は、と衙が訊こうとしたその時だった。

 それは丁度、スイッチが入れられたかのように。

 道端の風景が、一瞬で変化した。その変化と、魔力を感じ取るのとは、殆ど同時だった。衙だけではない。董士も、真人も、すすきも、平時以上に魔力に対して警戒を強めていた筈のその誰もが、炎が立ち上る瞬間まで気付き得なかった。
 零から百へと。完全な無から莫大な有へと。
 それほどまでの、魔力の制御。
 隣にいた栞と彼とを炎が分かつ刹那、反射的に衙の脚は大地を蹴っていた。
 ――分断される。炎の、壁に。
 そう思ったのは、果たして跳ぶ前だったのか跳んでいる最中だったのか、それとも彼女の体を抱きしめ、倒れ込んだ後だったのか。何れにせよ、一番彼女に近い位置で歩いていたことが幸いした。
「栞さん、大丈夫?」
 即座に体勢を立て直すと、栞の体を起こしながら早口で訊いた。訊きながら、素早く周囲を見回すと、赤一色だった。炎に囲まれた領域には、衙と栞の二人しか居なかった。
 衙の脳裏に今朝の夢が蘇ろうとした時、彼の頭上から響いた声がそれを阻んだ。
「中々、計画通りにはいかないものですね」
 炎の隙間から覗く青空には、男が一人(たたず)んでいた。
「“聖禍石”を持っている人だけに、用があったんですけどねぇ。まあ、貴方ひとりくらいなら、何とかなりますか」
 まだ記憶に新しい、赤髪の男。
「ブラント・ファルブリー……!」
 衙の頭の中を駆け巡ったその男の名前は、声となって外へ出た。




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