第十四話 「Red Zone」 ――違う 大声で 『違わないさ、衙』 父の声。何故か直感的にそう確信した。 衙は必死で辺りを見回した。けれど、周りには誰の姿も見当たらなかった。 『違わないさ、衙。お前は、』 ――違う 喉が裂けてしまいそうだった。 衙は視線を動かし続けた。けれど、やはり声の主は見つけられなかった。 『お前は、本当は、』 ――ちがう 懸命に絞り出した言葉は、声と言うよりは悲鳴に近かった。 衙の周囲は、前も後ろも右も左も上も下も、赤一色に染まっていた。 『お前は、本当は、傷ついて――』 天井が落ちてきた。目を開けた時、衙は本気でそう思った。 暗闇を見つめ、天井は微動だにしていないと認識するまでに、彼は数秒を要した。次の数秒は、今のが夢だったと認識するために必要だった。 気付いてはいけない、気付きたくない存在を教える夢。ずっと昔から其処にあったのだと、その存在をお前は知るべきだと、主張するかのような。 違うそうじゃない、と否定し続けた叫びすらも嘘だと否定されて。 其処に何が隠れているのか、実際のところ分からない。 だからこそ、凝視すればはっきりと見えてしまうからこそ、目を背けているのだった。一度でもそれを認めてしまえば、元には戻れないから。 「5時……か」 衙は枕元の電気スタンドを点け、目覚まし時計を手に取った。 衙は軽く咳をした。喉がまだ痛かった。 衙がリビングに入ると、起きていたのは 衙に気付くと、真人は片手を軽く上げ、寝ている二人を起こさないように小声で挨拶した。 「よう。そろそろ代わってもらおうかな、って思ってたトコだったんだ」 「そりゃ丁度良かった」 衙は小さく笑って返した。 「真人はまだ全然寝てないの?」 「いや、2時間くらいは寝た。4時ごろから董士と代わったんだよ」 「異常は無いみたいだね」 「ああ。油断はできねぇけどな」 真人は立ち上がって大きく伸びをした。 「じゃ、交代だ。あと1時間くらい寝させてもらうわ」 毛布に包まって 彼らの寝息を除けば、音を生み出しているのは時計の秒針と、あとはキッチンの冷蔵庫くらいのものだった。 衙は空いているソファに深く腰掛けた。 (俺は、本当は――) 無意識の内に先程の夢の続きを考えかけている自分に気付いて、衙は大きく息を吸い、吐き出した。とりあえず何らかの動作をしたことで、思考はリセットされる。それでも、そのままじっとしているとすぐにリスタートされそうだったので、衙は今下ろしたばかりの腰を上げた。 リビングのカーテンを少し開けると、夜の闇が天から逃げ出す 誰の心にも善悪の二面性があるとよく言うけれど、それならばあの色は人の心を表したようなものだろうか。衙はぼんやりとそんな事を考えていた。そして、俺はもっと夜に近いだろうか、とも。 どうしてあんな夢を見たのだろう。今まで気付かなかった部分を示唆するような夢を。 不意に、昨日自分を揺さぶった声が、耳に響いた。 ――本当に、衙さんがいなかったら私たちは イイと、思ったからだろうか。そう思う事を、決して許してはくれないのだろうか。今まで隠れていたのは自分を救うためだろうに。 所詮は見せかけの。 (違う。父さんが死んだのは――) それは俺の。 (違わない。嘘じゃない) 信じたくはなかった。今までずっと、それは存在していたなんて。其処が深い深い場所だったから、気付かなかっただけだなんて。 自分のためだけに、こんな道を進んできたと。 この道が全部、作り物だったと。 知りたくもない答えは、半ば出ようとしていた。肉体は動きを止めていた。もう、自分ではこの思考を止められない。 誰か。 誰か、俺を。 「何かあるんですか? 外に」 止めて、くれた。 「朝日は……まだですね」 栞は、カーテンの隙間から空を見上げると囁いた。 「何を、そんなに真剣に見ていたんですか」 衙は、長く息を吐き出すと、その場に座り込んだ。 「……危なかった」 傍らに立つ栞の耳にすら届かないくらいの、小さな安堵が口を出た。 それは返って行った。奥の奥へと。 もうミエナイ。 キコエナイ。 ワカラナイ。 「何を見てた、ってわけじゃないよ。ただぼーっとしてただけ」 心配そうに見下ろす栞に、衙は笑顔で言った。 ゆっくりと立ち上がると、その動きに合わせて栞の視線が移動する。最終的には、身長差の関係で、衙が見下ろす恰好になった。 「栞さんこそ、どうしたの。まだ寝てていいのに」 「一度目が覚めちゃったら、何だか、今度は寝付けなくなっちゃって」 こどもみたいですよね、と少し気恥ずかしそうに彼女は笑った。 「しょうがないよ。いつもとは違う状況だし。いつも通り眠れるっていう方が」 無理があるよと言いかけて、二階でまだ安眠中であろう栞の妹のことを思い出し、衙は言葉を止めた。 彼の言おうとしたことを察して、栞の口から白い歯が覗いた。 「 「繊細、って言うんだよそれは」 衙の冗談じみた言い方に、栞も軽い口調で返した。 「それはどうも。さて、繊細なお姉さんは皆さんの朝ごはんでも作りましょうか。家を出るの、早いそうですから」 声を出して笑ってから、俺も手伝うよ、と衙は言った。 |