「いや、半ば予想はしていたことだ。これだけの魔力を持つ物となれば、“魔将(ましょう)”以外には考えられないからな。しかしそれでも、いざ確証が得られるとやはり動揺せずにはおれんな」
 顔をしかめて、苦々しく言うすすきに、衙は訊いた。
「シーイン・ロン、それがそいつの名前なんですか。“魔将”って……“魔族”じゃないんですか、そいつは」
「生態的には“魔族”と何ら変わりない。“魔将”とは、地位の名称だ」
 朱青玄白(しゅせいげんぱく)、魔力には四つの『色』が存在する。そして、その各『色』の最上位の階級名が“魔将”である。その四魔将を束ね、魔界を掌握する存在が、王家――ゼクラルゼーレ。“魔将”は魔界に於いて、王家に次ぐ地位と実力を持った存在なのである。
「じゃあ、その四人の“魔将”の一角を担う存在ってことですか、シーインは。そう言えば、あのブラントってヤツも言ってましたね、『シーイン様に報告する』みたいな事を」
 すすきの説明を聞いた後の衙の声は、微かに震えていた。
「でも、何でだ。何で“魔将”がわざわざ出向いて来やがったのか、その理由が分からねぇ。衙、本当に心当たりはねぇのかよ」
「真人の言う通りだ。魔界の重鎮である“魔将”が自ら人間界に赴く事は、通常では考えられぬ」
 そのすすきの言葉を、しかし董士が否定した。
「そうでもないだろう。“聖禍石(せいかせき)”が関与していれば、話は別だ」
 俺の事例のようにな、とは心の中でだけ続けた。しかし、そんな董士の心中を読み取ったのだろう。彼に向けられたすすきの視線は、何処か痛みを帯びたものだった。気付かぬ訳は無かったが、董士は敢えてその視線を無視した。
 そう過敏に反応するな、と董士は心の中で呟いた。逆に辛い、そう感じた。自分のために心を痛める彼女を見る事が、自分の心に最も響くという事を、彼女は理解しているのだろうか。
 痛みは決して辛くは無い。誓いの証になるのだから。けれど、自分の痛みに巻き込まれる彼女は別である。
(面倒見が良すぎるな、すすきは)
 それでも、彼女に対して不平を言える道理も無い。傷が在るのは事実であるし、それを彼女が知っているのも事実。すすきに痛みを感じさせてしまう原因は結局、己の傷なのだから。
 瞳にかかった前髪を少し払いのけて、董士は自らの思考を会話へと戻した。
「それで、心当たりは無いのか、柊」
「“聖禍石”……そうだ、母さんがこの前言ってた。俺は栞さんと澪ちゃんに会ったことがある、って。“聖禍石”のせいで狙われた一家を父さんが護った、って。もしかしたら、その時の相手がシーインだったのかもしれない」
 あの二人は以前にも魔物に狙われていた、その事実はすすき達を驚かせるに充分な内容だった。もし今が騒音溢れる白昼だったならば、誰かが声を上げてその驚きを露わにしていたかもしれない。が、夜の無音がそれを拒んだ。
 周囲の静寂によって調律された声で、すすきが言った。
「そして、その戦いで命を落とした……か。いや、それでも完全な理由付けにはならない」
 その言葉に、疑いの色を帯びた視線がすすきに向けられる。一拍置いて、すすきは続けた。
「如何に“聖禍石”が関与していようと、(はな)から“魔将”が動く事はまず無い。今回のケースでもそれは明らかだ。栞と澪を襲った魔物、魔力を動力とする機械、そして“魔族”ブラント・ファルブリーと、どう見ても段階を踏んで奪取を試みている」
「“聖禍石”を狙う奴等を、衙の父親が複数回に渡って退けてた、ってのは考えられねぇかな」
 すすきは少し考え込むような素振りで口元に手をやった後、真人の見解を打ち消した。
「その可能性はかなり低い。もしそうだったなら、退魔の眷属が“聖禍石”の守護に乗り出さぬ訳が無いだろう。栞と澪が今迄“聖禍石”を持っていたというのは、襲撃に遭った回数の少なさの表れでもある筈だ。それに、“聖禍石”にはその反応を覆い隠す封印術が施されていた。術の効力が弱まったからこそ、魔物側も我々もその所在を知る事ができたのだ。反応の無い“聖禍石”を何度も探し当てるなど、至難の業だ」
「じゃあどうやって“聖禍石”を見つけ出したんだろうな、その一回は。偶然か?」
「そうかもしれぬ。或いは……」
(“聖禍石”以外に、手掛かりが有った……?)
 突如、すすきの脳中が黒く染まった。ひとつの仮説が、漆黒の閃きと共に彼女の頭を侵食した。ひとつの、黒い仮説が。
 すすきは、小さく身震いした。同時に、首を小さく左右に振る。自ら作り出した仮説を否定するかのように。
(そうだ、そんな事は有り得ぬ。愚かな妄想だ、私の)
 そう思おうとしても、一度生じた思考は簡単には止まろうとしなかった。時を戻せないのと同じように、浮かんだ考えを無かったことにはできなかった。それに、否定しようとすればするほど、その仮説は今までの疑点を――董士が禁書庫で見つけた『柊』に関する記録をも――明証するのだった。気分が、悪くなるくらいに。
 どうした、と董士が声をかけた。彼女の暗影を落とした相貌は、董士にそう言わせるに足るものだった。
「何でも無い、すまぬ」
 精神は未だ暗闇の中にあったが、それでも何とか平静を保ち、すすきは答えた。言外に含まれた、追求を拒む意思を読み取ったのか、董士はそれ以上何も訊かなかった。代わりに、衙に対して問いかけた。
「それにしても、よく家紋まで記憶していたな。先程の口振りからすると、高瀬姉妹と面識が有った事は覚えていないようだが?」
「だから、さっきも言っただろ。断片的な記憶しか無い、って。記憶に大きな波があるんだよ。あの時の事は、全体としてはあまり覚えてない。でも、アイツの家紋ははっきりと覚えてる」
 忘れるわけが無かった、他の何を忘れたとしても。
 瞳の赤、髪の赤、家紋の赤、炎の赤。
 そして、血の赤。
 アカい記憶だけは、時が経つにつれてその惨烈な鮮明さを増し続ける。衙にとって、それは今でも変わらぬ事だった。
「衙、もうひとつ訊きたい事がある」
 酷く張り詰めた面持ちで、すすきが口を開いた。
「何ですか?」
「お前同様、栞と澪は早くに父親を亡くしている。その理由を聞いた事は?」
「確か、交通事故だって言ってましたよ。結構大きな玉突き事故に巻き込まれたそうです。栞さんと澪ちゃん、それに二人のお母さんも同乗してたらしいですけど、お父さん以外は奇跡的に助かったって」
 そうか、と呟くように言ったすすきに、衙は尋ねた。
「もしかして、二人のお父さんも“聖禍石”の件に関わってるんじゃないかと疑ってるんですか? それは無いでしょう、まさか。事故の原因だって、魔物とは全く関係無さそうですし」
 栞と澪から聞いた、その交通事故の原因は、一人の不良ドライバーによる飲酒運転だった。皮肉な事に、事故の発端となったその人物は一命を取り留め、自分の行為を認めたというから……その事故と“聖禍石”とが無関係であると証言された事にもなる。
 衙からその説明を受けたすすきは、
「確かに、その事故は魔物と関係無さそうだな」
 と言ったものの、強張った表情に変化は無かった。
 すすきにとって今の話は――彼女の仮説を裏付ける以外の何物でも無かったからである。
 しかし、それでも彼女が自分の考えを口にしなかったのは、何処かでそれを否定したがっていたからかもしれない。自分の思い込みに過ぎないという可能性を、残しておきたかったからかもしれない。
 自らの意思で考えていると言うよりは、考えるべき対象に考えさせられている――すすきにとって今現在は、そんな状態だった。彼女自身動揺と混乱の渦中にあって、奔流に飲み込まれないようにする事で精一杯だった。
「すすきさん、訊きたい事はそれで最後ですか? 俺たちもそろそろ休まないといけないでしょ」
 掛け時計をちらりと見て、衙が言った。短針は文字盤の“U”を越えていた。
「あ、ああ、そうだな。衙、お前から休むと良い。番を交代する時になったら起こしてやるから」
 そうですかと言って、衙は腰を上げた。
「じゃあ、お先に。俺の部屋、階段上って一番奥ですから。誰か他にも休む人がいたら、そこに積んである毛布を使って下さい」
 如何にもそのために押入れから出てきました、といった様相でソファの横に鎮座している毛布類を、衙は指差した。
「それじゃ、また後で」
 そのまま足早にリビングを退室した衙の、階段を上る足音が聞こえなくなった後で、真人が口を開いた。
「結局、『半分正解』の意味は分からなかったな」
「その問いが再度生じるのを避けるがために話を打ち切ったようにも見えたな。『柊』が断絶した理由と本当に関係無いのかどうかは別として、な」
 すすきの方を見やって、董士は続けた。
「禁書庫の記録については……柊に言わなくても良かったのか?」
「根拠の無い現状では、言い様があるまい……あのような内容を」
 禁書庫で董士が見つけた記録は、たったの一文。

――『柊』の者、魔物側へ加担せし背任の罪科を以て断絶せしむ――





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