第十三話  「真夜中の尋問」


 キッチンから聞こえていた水の音が止まった。時刻は夜の1時半を少し回っている。パジャマの上に付けたエプロンで手を拭きながら、(しおり)がリビングに戻ってきた。さっき使った食器類を洗い終えた彼女に、(つかさ)が礼を言った。
 (ひいらぎ)(てい)に集まった6人は、誰一人として寝る気配を見せず、この和やかな談話もまた終わる気配を見せていなかった。
 しかし、栞が戻ってきたのを良い機と見たのか、すすきが穏やかな口調で言った。
「そろそろ、栞と(みお)の二人は(とこ)に就いたほうが良かろう。明日は早いのだしな」
 「えー?」と澪は不満を露わにし、「まだ全然ダイジョブだよー?」と、無駄に派手な動きで、腕をぐるぐると回して見せた。確かに澪は元気一杯、どう見ても活力が有り余っている。もともとお喋りが好きな性質(たち)であるから、水を得た魚、といった様相である。
 そんな生き生きとした澪の姿に、すすきはつい苦笑した。
「いや、お前が良くとも私たちが困るのだ。このまま話し込んでいては、誰もが眠るに眠れない。番をする私たちも、交代で仮眠を取る必要があるしな。徹夜明けでは、いざと言う時、充分な働きができぬやもしれんであろう?」
 魚の種類は、どうやら河豚(ふぐ)だったようである。不満気に頬を大きく膨らませて、澪は愚痴った。
「それなら、あたしたちも番をする。その方が、ひとりひとりの起きてなきゃいけない時間が短くてすむでしょ?」
「澪は元気が良すぎるから、周りで寝ておる者を起こしてしまう恐れがある。それにだ、あまりお喋りをしすぎて、体力を使うわけにもいかんしな」
 微笑みながらため息を(こぼ)して、すすきは言った。確かに澪とのお喋りは、他の人とのそれよりも体力を使うなあ、と勝手に一人で納得して、栞は自分の口元が緩むのを手で覆い隠した。
「やっぱダメかぁ。んー、わかった。行こ、お姉ちゃん」
 渋々ながら承諾して、澪は重い腰を上げた。次いで、栞もソファを立つ。
「では皆さん、お先に失礼します。どうもすみません」
 丁寧に頭を下げてそう言い、最後に「お休みなさい」と付け足した。
 突然、あっ、と澪が一声発した。
「お姉ちゃん、いつものアレ(・・)はイイの?」
「アレって?」
「いつもしてるじゃん、つかさとのお休みのキス」
 真っ赤な嘘に、栞の顔も真っ赤になった。
「またそうやって……っ! あ、待ちなさい、澪っ!」
 栞が叱責を返そうとした時には、すでに澪の体の半分は、リビングから廊下へと出ていたのだった。
「それではオヤスミ〜」
 楽しそうに笑ってそう言うと、彼女は一目散に逃げ出した。妹を追って、栞もまたリビングを飛び出した。いつもは開けたドアを必ず閉めるのに、今日はその余裕もなかったらしい。
 どたどたと階段を上るけたたましい音が響き、その後で、階上からは何やら怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。恐らくは、逃亡犯が確保されたのであろう。
 5分程で、家の中はすっかり静かになった。衙がぽつりと言った。
「……冗談、ですからね」
「ほぅ」
 すすきが気の無い返事をする。
「まぁ、人の恋路を邪魔する奴はろくな目に遭わねぇらしいし。俺は別に、気にしねぇけどな」
 真人(まひと)が、酷く真剣な顔で言った。
「随分と手の早いことだ、柊」
 董士(とうじ)の目はいつもより冷え冷えとしていた。
「な、何ですか皆してよってたかって! 誤解ですよ誤解っ」
 半泣き状態で訴える衙だったが、皆の真面目な表情は一向に崩れる気配が無い。反論を続けようとした衙だったが、ムキになればなるほど泥沼にハマりそうだったので、ぐっと堪えた。
 口の中で渦巻く文句を飲み込みながら、開け放たれたままのドアに向かい、
「あぁ、もう。いいですよ、勝手に誤解してて下さい。それより、」
 静かにドアを閉めると、睨むような目付きですすきを見た。
「すすきさん、何か話したいことがあるんじゃないですか? 人払いでしょ、今の」
 一息置いて、すすきは答えた。
「気付いていたのか」
「そりゃ、まあ。もちろん、二人を寝かせるのには俺も賛成ですよ? だけど、『番を手伝う』っていう澪ちゃんの申し出をあんな理由で断るのは、やっぱりおかしいですよ。少し気を付ければ、どうにでもなる問題だったじゃないですか」
 ゆっくりとソファに腰を下ろすと、衙は訊いた。
「二人には聞かせられないような内容なんですか? 話して下さい」
「ここから先は、退魔師としての話になるからな。魔物の話をすれば、栞と澪はどうしても責任を感じるであろう。二人にこれ以上余計な心配や不安を抱かせたくは無い」
 深みのあるその黒い瞳で、すすきは衙を直視した。
「それに、お前にも色々と尋ねたい。あの二人が居ては、お前も答えづらいやもしれんと思ってな。だから、席を外してもらったのだ」
「ま、明るく楽しい時間は終了、ってコトだ。くらーい話が、俺たちの口から出るのを、首を長くして待ってやがるんだよ。さっきからずっと。そんなモンに待たれても全然嬉しくねぇけどな」
 真人が乾いた笑顔で言った。全くだ、と董士が相槌を打つ。
「では、まず」
 というすすきの声が、始まりの合図だった。
「お前の父親について訊きたい。昨日お前は、私の『父親は魔物に殺されたのではないか』という質問に『半分正解だ』と、そう答えたな。あの時は、敵を倒すのが先決だった(ゆえ)訊きそびれてしまったが、あれはどういう意味だ」
 一瞬、彼自身しか気付かぬような微細な変化で、衙の顔が強張る。
「そんな、大した意味は無いですよ。父さんが魔物に殺されたのは事実ですし」
「それでは答えになっていない」
 低く、静かな董士の声が追求した。
「ホントに、大した意味は無い。無いんだ」
 はき捨てるように言うと、衙は口を(つぐ)んだ。
 頑なに拒むその態度を見て、すすきは小さくため息をつくと、質問を変えた。
「お前は知っておるのか。お前の父親も、かつては我々退魔の眷属の一人だったということを」
「知ってますよ」
 ついこの前、母親との会話の中から、それらしい情報を得ることができた。『柊』が退魔の家系ではなかったのかと訊いた自分に、母は厳しい表情で一言答えただけだった――「そう、だったさ」と、そう一言。
 衙の返事を聞いて、更にすすきは問うた。
「ではそれが何故、退魔の繋がりから断絶したのか。その事についてはどうなのだ」
 寸刻沈黙した後で、知りません、と衙は短く言った。
「ならば尚更、お前の父親が亡くなった理由を教えてくれ。それは『柊』が断絶した理由を知る、重要な手掛かりになるかもしれんのだ。そして、それこそが、私たちが最も知りたい事なのだ」
「だから、さっきも言ったでしょう。父さんは魔物に殺されたって。それは確かな事実ですよ。第一、そういう事情はすすきさん達の方が詳しいんじゃないんですか」
 衙は険しい表情で続けた。
「それに、もしも俺がその理由を知っていたとしても――それは昨日言った事とは関係ありませんから。あるはずない」
 足の上で握り合わせた手に、じわりと力が(こも)った。
 衙が言葉を終えた後、その場は沈黙に包まれた。衙はこれ以上、自ら語ることを欲しなかったし、すすきはすすきで、彼の問い掛けに対する返答に窮していた。
 そんな中、董士の口がゆるりと動いた。
「お前の父親がその魔物と戦うことになった理由や経緯、若しくはそれらに類する事象等、分かる事は無いのか」
「そんな事、覚えてないよ。断片的な記憶しか無いんだから」
 間髪入れずに、今度は真人が尋ねた。
「それじゃあ、敵の姿形なんてのはどうだ。どんなヤツだったか、見たりはしてねぇのか」
「人型……だったから、多分“魔族”だろうな。逆立った赤毛に、真っ赤な瞳」
「やはり、十中八九は『(アカ)』魔族だろう。“魔族”の髪と瞳の色は、魔力の『色』に左右されると聞くしな」
すすきが、「やはり」と言ったのには理由があった。以前“索色之法(さくしきのほう)”で調べた際、此処――つまり、柊邸に残されていた魔力もまた、『(アカ)』だったからである。恐らくは、かつてこの場所で衙の父は『(アカ)』魔族と交戦し、そして命を落としたのだろう。
(十年の歳月を経ても、未だ大地に染み込んで消えぬ残留魔力だ。相当に強力な攻撃が為されたに相違あるまい。現在のこの家屋は、建て直したものなのだろうな)
 建築物の新旧に対する鑑定眼などすすきは供えてはいないが、それでも、この家がさほど歳を重ねていないことくらいは分かる。壁や天井に染みは少なく、家具調度も綺麗なものだ。人間なら、せいぜい幼稚園児もしくは小学生低学年と言った年齢か。
「昨日、機械の敵を倒した後に現れた男――確か、ブラント・ファルブリーと名乗ったか。アヤツとは違うのか? アヤツも赤髪であったし、自身を『(アカ)』魔族と称していた」
すすきの言葉に、衙は首を横に振った。
「額の左側の紋様、家紋だって言って見せましたよね、アイツ」
「ああ。“魔族”には、顔の一部に家紋の刻印がある」
「違うんですよ、ソレが。俺が見たのは、左目の下にありました」
「どのような紋だったのだ?」
「逆三角形が、横に三つです」
 衙がそう答えた瞬間、彼以外の三人の表情が凍りついた。
「……シーイン・ロン」
「『(アカ)』の将、じゃねぇかよ」
 董士と真人が、瞳を見開いたまま声を零した。




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