第十二話  「まよなかのおしゃべり」


「一体いつから、すすきさんと電話してたの?」
 先程よりは大分冷静になったとはいえ、まだ少し怒りを残した声で(しおり)が訊いた。場所は柊邸リビング。尋問相手は当然、妹の(みお)である。
「えー? そりゃ、お姉ちゃんとつかさがここに入っちゃったすぐ後だよ。お姉ちゃんのあの電話の切り方だと、すき姐がすぐかけ直してくるかもしれないと思ったからさ、そーすると電話の鳴る音が二人の邪魔になっちゃうでしょ?」
 白いソファに深々と腰掛け、得意顔で澪は答えた。実に誇らしげなその表情が、今の栞には小憎らしかった。
「それで、すすきさんとはどんな話を?」
 聞いてもあまり心地良い内容ではなさそうだが、恐る恐る栞は尋ねた。
「いやいや、心配しなさんなって。うまーく取り(つくろ)っておきましたから!」
 手の平をひらひらと上下させ、へらへらと笑いながら澪は言った。何処のおばさんだ、と突っ込みたくなるような動きである。第一、さっき聞いた澪とすすきの会話の最終部。それを思い出す限りではとても、“うまーく取り繕って”いたようには思えない。どちらかと言うと、いや、どちらかと言わなくても、楽しんで暴露していたような。
 明らかに猜疑心に満ちた視線を浴びて、澪は冷や汗を流した。これ以上姉の神経を逆撫でする事は危険だと、彼女は本能で認識した。昔から温厚で、大抵の事は許してくれる姉だったが、その分本気で怒った時は洒落にならない。
 姉を本気で怒らせるべからず。これは澪の経験上の鉄則だった。
 かつて一度だけ、澪は栞の堪忍袋の緒を切ってしまった事がある。あれは6年前の夏。外で遊ぶのが楽しくて、何度注意されても毎日毎日帰宅時間を守ろうとしない澪に、とうとう姉の我慢の限界が来たのだ。と言っても、叩かれたり無視されたりした訳ではない。基本的な行動は一切変えず、姉はただそこに僅かな敵意を感じさせたのだ。傍目(はため)には分からず、しかし対象である自分にはハッキリと伝わる確かな敵意。チリチリと焦げ付くように痛い空気が一週間以上続いて、当時9歳だった澪は涙ながらに平謝りした。
 今の状況、あの時に似てはいまいか。何度も繰り返し(つかさ)との関係を冷やかし、その度に姉のマグマは火口へ向かって上昇してきているのではあるまいか。
「ごごご、ごめんなさいっ! 謝るからそんな目で見ないでよお姉ちゃん! 私が悪うございました、このとーりっ!」
 ぱん、と顔の前で手を合わせて、拝むように謝る。
「しょうがないなぁ、澪は。調子良いんだから」
 全くもう、といった表情で、栞は軽く肩を(すく)めた。どうやらマグマは地中へ戻ったようである。これで当分は大丈夫かな、と善からぬ考えを巡らせる澪であった。

*  *  *

 澪が喋った内容を、すすきに一通りからかわれた後で、衙はようやく電話の用件を耳にすることができた。やはり、と言うべきか、澪はあることないこと話していたようで、衙は誤解の修正に苦労した。
 そのせいで並ならぬエネルギーを消費した衙は、息も絶え絶えに答えた。
「明日、ですね。はい、分かりました」
 結局、“聖禍石(せいかせき)”は翌日の早朝にすすきの家へ持って行くことになった。すすきの説明によれば理由は二つ。一つは、時間的猶予が無いこと。いつまた“聖禍石”が襲われるか分からない現状では、保管場所の移動はできるだけ早い方が良い。もう一つは、魔物の魔力が夜に増加傾向にあること。どうやらこれは、昼よりも夜の方が人間界と魔界との同調率が高くなるためらしい。敵に有利な状況下での移動は避けたいのである。
 以上二点を踏まえると、明日早朝という時間が自動的に弾き出される。
「それで、だ。一つ頼みたいことがあるのだが」
 言いにくそうに尋ねるすすきの声。
「何ですか?」
「いや、今話した予定だと、夜間がどうしても危険になるであろう? 襲撃を受けた時にこちらの対応の遅延は免れぬし、お前一人では手薄であるし……」
 すすきの言わんとする事を理解して、衙は自らその要旨を問い掛けた。
「つまり……今夜ウチに泊めてくれ、と」
「そういう訳だ。これから行くので宜しく頼む。董士(とうじ)真人(まひと)も連れて行くのでそのつもりでな」
「そりゃまあ、仕方ないですし構いませんけど。寝る場所足りませんよ」
「ああ、良い良い。どうせ交代で番をするのだ。もちろんお前も頭数に入っておるから安心しろ」
 何を安心するのかよく分からないが、とにかく今夜は長い夜になりそうだ、と衙は思った。
「何事も無ければいいんですけど」
「私もそう願うよ。では、また後でな」
 それじゃまた、と言って受話器を置いた衙は、右腕をぐるりと一回転させた。怪我をした二の腕に、痛みは殆ど無い。これくらいなら差し当たり戦うのに支障はなさそうだな、ととりあえず安心して、栞と澪に事情を説明すべく彼はリビングへ向かった。

*  *  *

 すすきの電話からおよそ半刻後。丁度日付が変わらんとする時刻に、『“聖禍石”を守り隊』(澪命名)のメンバーは柊邸に集結した。
 “聖禍石”を警護してもらうことへの責任を感じてか、申し訳なさそうな栞の声がキッチンから響く。
「どうもすみません、皆さん。今何か作りますから」
「いやいや、こっちが勝手にやっていることだ、気にするな。それより、タダで美味しい料理が食べられるのならば、礼を言うのはこちらの方だ、なあ董士?」
 すすきが、からからと明るく笑う。
 その横で、無言で小さく頷く董士。うーん相変わらず何を考えてるのかよく分からない奴だ、と衙は心の中でつぶやいた。
「オマエは何も作らねーのかよ?」
 真人の猫に似た目が、嫌味な視線で澪を見た。『オマエにゃ料理みたいな家庭的なコトは無理だよな』と語るその目に屈してなるものか、と澪は声を荒らげた。
「つ、作るわよ! 作ればいーんでしょ、作れば。アンタのほっぺた落としてやるわよ!」
 ……20分後、彼女の作った料理で真人の頬はもげそうになる。食材を非食材に変える女、高瀬澪。見た目からして殺人的な出来栄えだったのだから、それを口に運んだ真人は十分敢闘賞に値するだろう。
「オマエは俺を殺す気かぁぁ!」
「うっさい! 食え! アンタのオーダーなんだから全部食えー!」
 しばし真人が悶絶した後には、醜い口喧嘩が待っていた。
「うーむ……確かにこれは……何とも形容し難い色と匂いだな」
 皿の上の料理をまじまじと眺めて、すすきは眉をひそめた。
「ここまでくるとある意味天才だな」
 董士はぼそりと、しかし冷ややかな声で言った。
「あー、すき姐までそーゆーコト言うかなー! ちょっと、とーじ! アンタってばそんなツッコミ入れるヤツだったワケぇ!? コラそこ、つかさっ! 何ひとりでお姉ちゃんのパスタばっか食ってんのよー!」
「え。いや、だって栞さんの料理おいしいし」
「それはあたしに対する皮肉かーっ!」
 野生の虎顔負けの猛々しさで()える澪を、栞がどうどうとなだめる。彼女は名調理師であると同時に、名調教師の才能もあるのかもしれない。
「お姉ちゃんは妹がコケにされて悔しくないの?」
 迷子の子犬のような瞳で見つめられて、栞は言葉に詰まった。妹の料理が非難を浴びても()む無き味であることは、明白すぎるくらい明白である。
「……っ、澪、食後のお茶を皆さんに淹れてくれる?」
 視線を泳がせて、栞はぎこちなく微笑んだ。胸の内は滝の汗である。
 ――逃げたな、姉よ。
 白い目で栞を一瞥(いちべつ)して、澪はキッチンへ向かった。少し(しゃく)ではあるが、どうやら名誉挽回にはそれ以外に手は無いらしい。飲食関係で姉に勝るのは、この分野しかないのだから。




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