第十一話  「大した事じゃなかったとしても」


 すすきは自分の耳を疑わずにはいられなかった。祖父・仁斎(じんさい)の言葉は、全く彼女の予想の外からやってきたからだ。
 “聖禍石(せいかせき)”の所在が魔物側に知られた時は、『時白(ときしろ)』がその警護に当たる――そう条件付けたのは他ならぬ仁斎だった。だからこそ、今日“聖禍石”が狙われた事を報告すればそれで話は(まと)まると思っていたのだ。
「それでは、“聖禍石”は『時白』で預からないと言うのですか」
 棘の在る視線を、すすきの瞳が放つ。
「そうは言っておらん。“聖禍石”は確かに『時白』で保管する」
 すすきの正面で正座する仁斎は、そんな彼女の視線など意に介さない様子で、その声には何ら変化はなく荘厳であった。
「しかし、『(ひいらぎ)』の者も『高瀬(たかせ)』の者も『時白』の敷居は跨がせないと、今そうおっしゃったではないですか」
「そうだ。その双方の血を引く者を、家に上げるわけにはいかん」
「……では、つまりこういう事ですか。“聖禍石”は預かる、しかし元々の所有者に直接会って説明はしない、と」
「多少その言い方は悪いが――事実上、そうなるな」
「それではあまりに身勝手ではありませんか! 百歩譲って、断絶した『柊』を拒絶するのは解るとしても、『高瀬』までとはどういう事です。彼女達は所有者であると同時に、被害者でもあるのですよ?」
 正座した脚の上で、すすきは(こぶし)を握り締めた。
 一鳴き。二鳴き。庭の鹿威(ししおど)しが月まで届きそうな声で三度鳴いたところで、(ようや)く仁斎は答えた。
「確かに彼女達は所有者であり、被害者でもある。退魔の眷属でもなければ、断絶した者でもない。しかし――背負う(とが)は、『柊』よりも重い」
「咎? 彼女たちが一体何をしたと……」
 仁斎は再び黙り込んだ。その顔に深く刻まれた(しわ)は、心なしか一層深まってすすきの瞳に映った。
 口を開く気配のない祖父の様子を見て取って、すすきは腰を上げた。
「お爺様(じいさま)の黙秘には、もううんざりです。理由を話して下さらないのならば、その意見には従いかねます。私は『柊』も『高瀬』も連れてきますので、お爺様もそのおつもりでいらして下さい」
 立位から見下ろすようにそう言うと、すすきは(ふすま)を開き、
「失礼致します!」
 粗雑に一礼して退室した。襖は語気と同じくらいの勢いで、ぴしゃりと閉められた。
 仁斎は重々しい息と一緒に、苦々しい声を吐き出した。
「我が孫ながら……全くもって我の強い……」
 彼の眉間の皺は、本日一番の深みを見せた。

 この前から、この廊下を歩く足取りは毎回こうだ。そんな事を、少し冷めてきた思考回路で考えながらも、すすきは荒々しく歩を進める。口ではぶつくさと不平を述べながら。
「あんな説明で納得できる筈があるものか! 全くもって、お爺様の我の強いことときたら……」
「似た者同士だろう」
 いきなり幼馴染の声がして、すすきが勢い良く振り向くと、そこには果たして水守(みずもり)董士(とうじ)の姿があった。庭の池を(きらめ)かせ、水面で乱反射した蒼白い月光は、その輪郭を浮き上がらせているようだった。
「お前……ッ! また盗み聞きか!」
 呆れ果てたすすきの口が、あんぐりと大きく開いた。
「盗み聞き、と言うのは間違っているな。仁斎は俺がいる事に気付いて……」
「その説明はこの間聞いたからもういい」
 呆れた表情のまま、すすきは冷ややかな視線で董士を見つめた。
「まあそんな事は俺もどうでもいい。本題を言おう」
「本題?」
「――『柊』の記録を、見つけた」
 すすきは驚いた様子で目を見開くと、董士の顔を無言で見つめた。『それは本当か』と問い掛ける彼女の瞳に、董士は答えた。
「禁書庫の警備は予想以上に厳重でな。長時間留まることはできなかったから、見つけられたのは僅かな記述だけだったが……」
 言いながら、董士は視線を上へやった。庭に面した廊下からは、天空の半月を仰ぎ見ることができた。空には雲ひとつ無い。明日も晴れそうだな、と董士はただ漠然と思った。
 透き通るような青空は好きではなかった。凍て付く霧雨が舞っていたあの日とあまりに対照的すぎて、逆に心を疼かせる。それとも、痛みが和らいでしまいそうで怖いだけなのか。傷を癒えさせぬための、傷を(えぐ)るための刃を欲しているのだろうか。
 そう、この痛みは、誓い。二度と失わぬための誓いなのだ。
「董……士?」
 名を呼ばれて月から視線を戻した彼の眼に、幼馴染の愁眉が映った。
「御両親の事を、思い出していたのか」
「……毎度の事ながら、よく解るな」
「お前がそんな顔をするのは、その時くらいだ」
 (もっと)も、董士の表情の微かな変化を読み取れるのは、すすきくらいだったが。何しろ、澪には影で『鉄仮面』などと呼ばれる始末なのだ、水守董士。
 襟の大きなコートに隠れた彼の口が、表情の変化と同様に微かなため息を漏らした。
「すまん、話が途中だったな」
 謝る事でもないさ、と苦笑してすすきは続けた。
「で、『柊』について何が解ったのだ?」
「ああ……どうやら、『柊』が断絶した理由は――」
 風が叫び声を残して、池の水面を駆け抜けていった。




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