第十話  「真実の前日の現実の切実」


 シンヴァーナリエス城の一室、『(アカ)』の部屋。(もた)れかかるように椅子に座り、その足を無造作に机の上に投げ出して、シーイン・ロンは部下からの報告に耳を傾けていた。
「あー、概要はわかった。とりあえず、プロジェクターをつけてくれ。『灼炎(シャクエン)』の記録したデータ、持って帰ってきたんだろ?」
 部屋の内装は至って簡素。室内で床の面積を最も多く占めているのは机であるが、その上にはシーインの足以外何も載っていない。机の他には椅子と本棚、そして大きな銀色の円盤状の物体があるのみである。
  “魔操皇機(マソウコウキ)”と退魔師との戦闘の顛末をシーインに報告していたブラント・ファルブリーは、丈の長い赤コートのポケットから5センチ四方のカードを取り出すと、銀の円盤に差し込んだ。複数のボタンを慣れた手つきで操作すると、円盤から光の円柱が立ち上った。
「冒頭部はカットしてありますので」
 さらにブラントがボタンを押すと、円柱の中に立体映像が映し出された。
 まず現れたのは、結界を殴りつける『灼炎』の腕だった。その画像が突然激しく揺れたかと思うと、『灼炎』の腕は下がって画面から消え、その視界が回転した。一人の男の姿が現れ、その姿に焦点が合わせられる。
「んー? どっかで見た顔だな」
 シーインが(いぶか)しげに首を捻った。
 『灼炎』はその男に次々と打撃を繰り出すが当たらない。それどころか、不意にその動きを止め、男の攻撃をその身に受けた。画面が再び大きく振動する。
「光る手……そうか、あの野郎に似てやがるのか、コイツ」
舌打ちするシーインをよそに映像は進み、『灼炎』の腕が男の体を殴り飛ばした。
「今の所、押してるじゃねーか。何で負けたんだー?」
「この、後ですよ。三人目の退魔師が加勢します」
 画面に、光る剣を持った男が映し出された。
 白い斬撃。
 赤い光線。
 傾く視界。
 そして、映像はブラックアウトして終了した。
「いやぁ、怖い怖い。光る手の男も巫女も中々の腕前ですが、特にこの剣士、恐らく実力は僕と同等くらいでしょう。こんな人間がいたんじゃ、調査に行った部隊が帰ってこないわけですよねぇ」
 ブラントは肩を竦め、細い目を一層細めて笑ってみせ、その後で「あぁ、髪の長さは僕の方が負けていますか」と付け足した。
「軽口叩いてる場合じゃねェだろ……お前でも一人じゃキツそうだな。もう二・三人くらい必要か」
「大丈夫ですよ。要は、多勢に無勢の状況を如何に回避するか、ですから。それに、シーイン様の魔力を無駄に消費することは得策ではありませんし。日々のお役目もございましょう」
 “門”を開くためには、“聖禍石(せいかせき)”に大量の魔力を注ぎ込まねばならない。それ故に、一度に多数の魔物を人間界へ送り出すことは不可能である。このことは魔物側にとって厄介な問題であった。なぜならば、人間界には常に複数の退魔師が存在しており、数の上で劣る戦いとなる場合が増えることは必至だからである。たとえ戦闘当初には一対一であったとしても、戦闘が長引けば、魔力を嗅ぎ付けた退魔師が助勢に来る可能性は高い。引き換え、魔物側には助勢はまず在り得ないのである。
 更に、魔物は人間界ではその魔力が減少する。そもそも魔界の大気は魔力の源とも呼べる成分を含有しており、魔物はそれらを取り込むことで活力の一部とする。人と酸素の関係に少し似ているかもしれない。つまり、人間界の環境下での活動は、魔物にしてみれば一種の無酸素運動。その寿命も大幅に短くなり、数年が関の山だ。数年と言えば、人間にすればかなりの長期間に聞こえる。しかし、高位魔族ならば本来その寿命は優に数千年を越すため、彼らにとって人間界での寿命は実に短命と言えるだろう。
「今回の件のように強引に結界を破ろうとし、それに時間を掛ければ、退魔師を招くだけです。しかしながら今回の件は、結界が最早役に立たない事を退魔師に示す機会にもなりました。“聖禍石”は一層厳重な警戒下に置かれる事が予想されますが……狙うのはその移動時です。“聖禍石”を持つ者だけを引き離し、奪還しましょう」
「面倒な相手は無視、か。――上出来だ」
 机に上げた足を組み直して、シーインは片眉を上げて笑った。
「“獄門”が開けば、こんな面倒なことをしなくてもいいんですがねぇ。あ、“獄門”を開くための作戦ですから、それは本末転倒というものですか」
「『(シロ)』の“聖禍石”は入手したとして……残る問題は“もう一つの探し物”か。聖禍石の所有者が替わってなけりゃ、話は早いんだがな」
「そうであることを願いましょう。では、私はこれで」
 深々と一礼して、ブラントは『(アカ)』の部屋を退室した。
 扉の閉まる音の余韻が消え去った後で、シーインは眉をひそめた。
「確かヒイラギ・ソウイチ、だったか……息子、か? 何れにせよ、実力は大したことなさそうだな」

*  *  *

「どえええぇ!?」
 珍妙な叫び声が、高瀬姉妹の部屋(と言っても居候している部屋だが)で上がった。声の主は高瀬姉妹の妹の方、(みお)である。
「澪、声が大きいってば!」
 高瀬姉妹の姉の方、(しおり)があわてて澪の口を塞いだ。
「だってだってだってぇ! あのつかさに彼女がいるなんて話、叫ぶのもトーゼンだって! 美人? 年上? 年下? 髪は長い? 短い? 目ぇおっきい? 性格は? 優しい? 高飛車? 悪女?」
 思い付いた質問を次々に言葉に変える澪の口を、栞は再び塞いだ。
「だーかーら! ただの噂だって言ってるでしょ? 私も今日、学校で初めて耳にしたの!」
「……苦しいってばぁ!」
 自分の口を思い切り押さえつける姉の手を、澪はべりりとはがした。
「じゃあ、どんなウワサだってゆーのよ」
「それは……だから、衙さんが、3年生の人と授業を抜け出してデートしてた、とか何とか……」
 視線を泳がせ、ごにょごにょと喋る栞の歯切れは非常に悪かった。
 この噂の原因はもちろん、(つかさ)が本日の体育の授業中、すすきによって連れ出されたことにあった。彼の危惧した通り、この手の話が大好きな者たちの手(口)によって、この事件は驚異のスピードで学校中に広まった。無論、尾ひれが付いて。
 当然栞もその噂を耳にすることとなり、事の真偽を少なからず気にして悩んで沈んでいたのを、澪が問い詰めたという訳である。
 ちなみに、現場に居合わせた者の中にすすきの名を知る者がいなかったのか、噂の中で彼女は“某三年女子”として扱われている。目敏(めざと)い者が、彼女の制服のリボンの色が三年生用の緑色であったのをしっかりと見ていたらしい。
「でもさぁ、目撃者がいっぱいいるのは確かなわけでしょ? だったらやっぱり事実なんじゃないのー? しかしあのつかさが年上に手を出すとは……」
「そうなの、かなぁ……」
 栞は明らかに落胆している様子。そんな姉の姿を見るに耐えないのか、澪は慌てて、必死にフォローを試みた。
「あ、でもホラ! 何か他の用事だったのかもしれないしっ! 好きな相手のそんなウワサを聞いて、お姉ちゃんが落ち込む気持ちはよーっくわかるけどさぁ。気になるなら、直接聞けばイイじゃない? ね、元気出してよ」
 澪が優しく姉の肩を叩く。
「そうよね、聞いてみるのが一番良いのかも……って、澪!? だ、誰が誰を、す、好きっ……!?」
 まだ日没までには時間があるというのに、あっという間に栞の顔は夕暮れ時を迎えてしまった。
 そんな栞を無視して、澪はさっぱりすっきりした笑顔で答えた。
「まぁ、そんなに心配することもないと思うよ。だって明らかにつかさもお姉ちゃんにホの字だもん」
「――澪っ!! ……ああ、だから嫌だったのに、澪に話すの……」
 瞳にうっすらと涙を浮かべ、栞はがっくりと頭を垂れた。




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