第九話  「そして、動き始める」


 金属特有の滑らかな光沢。全高およそ2mの赤黒く光る機体は、その二本の太い腕を交互に繰り出していた。(こぶし)であろうその腕の先端には、炎を(まと)っているかの如く赤い光が渦巻いている。そして、繰り出された腕が中空で何か固い物とぶつかるように止まっては、逆の腕が突き出される。その度に、その拳の赤光と中空に存在する固い何か――結界が、反発しあって火花を散らした。
 “魔操皇機(マソウコウキ)”『灼炎(シャクエン)』は、柊邸の周囲に張られた結界を今まさに破ろうとしていた。
「アレは魔族じゃ……ないですよね」
 柊邸(ひいらぎてい)の裏手には、幅30m程の河川があり、川沿いは土手になっている。自宅の壁を跳び越え、その土手の上空に躍り出た(つかさ)は、すすきの方にちらと視線をやって尋ねた。
「どう見ても、生命体ではないな。足と手は一応、二本ずつ在るようだがな」
 そう答えながら、滑り下りるようにすすきは土手に着地した。その勢いで草葉が四・五枚、青空に身を翻した。
 衙とすすきの降り立った場所はそれぞれ、『灼炎』の右側と左側。相手を挟み撃つ状態になる。
「初めて見るが……恐らくは、魔力を動力にする戦闘用機械。基本的な対策は同じはずだ」
 すすきが、制服の内ポケットから数枚の呪符を取り出した。
「とにかく、結界から遠ざける!」
 衙はそう叫んで、『灼炎』へと疾走した。その右手が、金色の光を放つ。
「はぁッ!」
 力強く踏み込み、衙はその機体を右拳で殴り付けた。巨大な金属音が、衙の右腕を伝って体を通り抜け、大気を震わせた。
(何て硬度だ……っ!)
 吹き飛ばすつもりで殴りつけたのであったが、『灼炎』はほんの数センチ、その機体を動かしただけだった。
 結界を破壊しようとし続けていた金属の腕が止まり、ゆっくりと下げられる。モーターが回転するような音を立てて、その首がゆっくりと回転し始めた。頭部に埋め込まれたカメラのレンズに似た部分は、“魔操皇機”の目に当たるパーツ。赤く点滅するその一つ目で周囲を見回して、『灼炎』は衙の姿を捉えた。
 ――ドガンッ
 重い腕が、地面に突き刺さった。間一髪でその攻撃を避けた衙に対し、『灼炎』は攻撃の手を緩めない。当たれば一発で全身の骨が粉々に砕けそうな打撃が、衙の肌を絶え間なく掠める。
(多少のガードは役に立たない……まともに喰らったらオワリだ)
 神経がぴりぴりと痛い程に張り詰めてゆく。
 突然、電気が空気を伝う音が聞こえたかと思うと、『灼炎』の動きが止まった。
「“静封之呪(せいほうのじゅ)”!」
 すすきの投げた呪符が赤黒く光る機体に張り付き、その動きを封じたのだ。
「決めろ、衙! 長くは持たない!」
 衙は左手を右手首に添えると、意識を集中させた。右手から溢れる金の光が、一気にその輝きを増す。衙は『灼炎』の懐に跳び込んで、煌々と輝く拳を相手の胴体部へと叩き込んだ。
「“昊天(こうてん)”ッ!!」
 大地をも揺るがす衝撃が辺り一面を駆け抜け、旋風が巻き起こる。
「……っ!!」
 衙は苦々しく歯軋(はぎし)りした。彼の右手が放った一撃は、『灼炎』の装甲に一箇所の窪みを作り出したにすぎなかった。
 火花の散る音がしたかと思うと、『灼炎』に張り付いていた呪符が弾け飛んだ。自由を取り戻した機体は即座に、自身の懐に存在する邪魔者を排除しようと行動した。
 『灼炎』の右腕が薙ぎ払われ、衙の体が弾き飛ばされる。相手に接近しすぎていた衙は、その攻撃をかわしきることができなかった。咄嗟に左へ跳躍して衝撃を和らげたものの、右の二の腕全体に巨大な負荷が、痛みを伴ってやってきた。
(直撃は避けたのに……この威力かっ)
 宙で半回転した体が、地面に叩き付けられる。倒れた状態の衙に、なおも『灼炎』は襲い掛かった。
「“炸破之呪(さくはのじゅ)”!」
 すすきの手から放たれた呪符が、衙への追撃を防いだ。『灼炎』の腕に張り付いた呪符は、爆炎を上げて炸裂した。
 ――ウイィィン
 モーター音とともに、『灼炎』の頭部がすすきの方を向いた。と、次の瞬間にはその外見からは想像も付かない素早い動きで、重厚な機体はすすきへと突進した。
(くっ! (まず)い!!)
 身構える暇は、無かった。
 一面に立ち込めた土煙の中で、『灼炎』の両腕は地面を深々と貫いていた。が、しかし。攻撃対象を貫くことには成功しなかった。
「機械風情が、ずいぶんと暴れてくれているな」
 冷淡な声が、『灼炎』の背部に投げかけられた。土埃を被った機体は地面から腕を引き抜くと、音声の発生した方向に向き直った。レンズのような『灼炎』の目が、何度も赤く点滅する。倒れた状態から何とか起き上がった男。抱きかかえられている女。そして――
 その目は、今までの二人とは異なった人物の姿を認識した。長い黒髪、鋭い眼差し。一振りの、剣。
「油断するな、すすき」
 抱きかかえられていたすすきは、静かに地面に降ろされた。すすきの窮地を救ったのは、彼女の幼馴染――水守(みずもり)董士(とうじ)だった。
「あ、ああ……すまなかったな、董士」
 微かに照れた様子でそう言って、すすきはすぐに顔を引き締め直し、制服から再び呪符を取り出した。
 董士はその手に持つ剣を構えた。刀身は、すでに金色に輝いている。襟の大きなコートに隠れた口が、冷ややかな声を放つ。
「不甲斐無いな、柊」
「うるさいな……いちいち言われなくても自覚してるよ……っ」
 ふらつく足で地面を踏み締めながら、衙は憎々しげにつぶやいた。
 『灼炎』が、再び突進した。対象は剣を持った男。高速で移動しながら腕を大きく振り上げ、振り下ろす。大地が再び爆ぜる。
 だが、その一撃もまた、攻撃対象を捉えることはできなかった。『灼炎』が突進して攻撃を放つまでの刹那、董士は空高く跳び上がっていた。
 担ぐように構えられた刀身の輝きが、金から白へと変化していく。
「“霜刃(そうじん)”!」
 彼が縦一文字に振り下ろした剣から、白く輝く衝撃波が放たれ、一直線に『灼炎』へと向かう。
 金属同士がぶつかり合うような高い音がこだました。
「成る程。大した装甲だ」
 軽やかに地面に降り立った董士は、少しも感情を含まない声で言った。“霜刃”のもたらした結果は、『灼炎』の右腕の傷ひとつ。
 敵の攻撃を防ぐためにクロスさせた腕を下ろし、『灼炎』の目が激しく点滅した。
 何かに気付いたように、すすきは目を見開いた。
「避けろ、二人とも! 奴の目に魔力が集積している!」
 すすきがそう叫んだのとほぼ同時に、『灼炎』の目から一条の光が発射された。
 虚空を貫通したその光線は地に突き刺さり、紅の火柱を上げた。
「あっぶな……!」
 その黒髪を僅かに焦がして、衙は恐々としてつぶやいた。
「関節を狙うぞ、柊」
 天から舞い降りる火の粉を剣で払いながら、相変わらずの静かな声で董士は言った。
「関節?」
「あの装甲の上から有効打を与えるのは容易ではない。ならば、装甲の薄い部分、尚且つ構造が複雑で負荷の大きい部分を狙うのが道理。ただ、奴は機動性もかなり高い。的確に関節を狙うのもまた、容易ではないだろう。奴の動きを止める役は……すすき、お前に任せる」
「心得た。董士は奴の右から、衙は左から仕掛けろ。タイミングを、誤るなよ」
 すすきが、その手の呪符に力を込め、衙と董士は身構えた。
 『灼炎』から視線を逸らさず、董士が口を開いた。
「柊、光を鍛える(すべ)は習得しているか」
「“耀鍛(ようたん)”のことか? まだ実践で使ったことは……」
「“昊天”では打撃面積が大きすぎる。ピンポイントの攻撃には適していない」
 でも、成功するかどうか。そう言おうとして、衙はやめた。できなければ、負ける。それだけである。
「……わかったよ」
(大丈夫だ。練武通りにやれば、できる。そうだろ、父さん――)
 衙は右手の指を五本とも真っ直ぐに伸ばすと、左手でその手首を強く握り締めた。先程『灼炎』の攻撃を受けた右腕はまだ痛むが、動かせない程ではなかった。




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