「準備はできたか? ……仕掛けるぞ!」
 そう言うや否や、すすきは『灼炎』に向かって呪符を投げつけた。それを合図に、衙と董士が二手に分かれて走り出す。
 投げつけた呪符は、しかし効を為さなかった。呪符が届くより早く『灼炎』の目は赤い光線を放ち、それを撃ち落としたのである。
(瞬時に軌道を計算し、対応するのか……ならば、その予測力を利用するまで)
 すすきは間髪入れず、次の呪符を投げつけた。が、その呪符もまた『灼炎』の機体に触れることは無かった。狙いを誤ったのか、呪符は『灼炎』の左足下の地面に着陸したのだ。
 その軌道を見切っていたかのように、『灼炎』は二枚目の呪符には目もくれず、左右からの攻撃に備えて両腕に魔力を集めた。
「――甘い。“炸破之呪”」
 すすきの唇より出でた鋭い言葉が、『灼炎』の予測を斬り捨てた。
 突如、『灼炎』の足元は爆発した。片足を支える地盤が崩れて、その機体は大きく傾いた。その隙を逃さず、すすきが新たな呪符を放つ。三枚目の呪符は、目標にしかと張り付いた。
「“静封之呪”!」
 放電音。『灼炎』の動きが一時的に停止する。
「今だ! 董士、衙!」
 董士の持つ剣が纏っていた金色の光が、波打つのを止めた。鞘のように刀身を包み込み、その型にぴたりと一致して、光は鋭利な形に留まった。
 赤黒い機体を挟んで、董士の丁度反対側では、衙の右手の光も同様の現象を起こしていた。
 “降魔(ごうま)能力(ちから)”を一定の形状に保ち、光の刃を作り出す技。それが、“耀鍛”。
「ここまで、だ」
 剣が瞬く間に二度(ひらめ)き、『灼炎』の右の手足を断ち切った。
 そして、左の手を断ち切るはずの衙の光は――
(くそっ! 揺れるなよ……!)
 一度は安定したかに見えた金色の光は再び波打ち始め、四方八方に拡散しだした。

『衙、そうじゃないって』

 不意に父の声が聞こえて、衙の脳裏にかつての、父が生きていた頃の風景が映し出された。突然スクリーンに照射されたかのようなその映像に、息を吸うくらいの僅かな間、衙の意識は引き込まれた。
 居るのは、幼い衙とその父・壮一。衙が父から稽古を受けた、最後の日。
 その日は梅雨時にしては珍しく晴れていて、二人は庭で稽古をしていた。まだ焼け落ちる以前の家の庭で。
 その日の稽古内容は“耀鍛”。“昊天”の真似事くらいはできるようになった衙に、壮一は新たな課題を提示したのだ。光をイメージ通りの形に保つことは難しく、何度やっても上手くできない衙はとうとう癇癪(かんしゃく)を起こし、泣き出した。

できないよ、とうさん

『いいか、頭の中でしっかりと思い描くんだ。そして、絶対できる、って信じなくちゃだめだ』

そんなこと、いっても

『弱音をはくな。衙は強い子だろ?』

とうさん、ぼくはつよくなんか。

『それは困るなあ。いざとなったら、お前が父さんの――』

 そうだ――負ける、わけには、いかないんだ。
 光は利刃のフォルムを紡ぎだした。手刀の外側に、真剣より鋭い刀が創造される。
「あああああッ!!!」
 気合と共に、光が空を切り裂いた。切断された『灼炎』の左腕と頭部が宙を舞い、ゆっくりと地に堕ちて減り込んだ。

『お前が父さんの代わりに、皆を守らなくちゃな』

「わかってる、わかってるよ、父さん……」
 荒々しい呼吸の合間にぽつりとこぼした言葉は、衙の体の中にだけ、しばらくの間残っていた。

「何とか、倒したな」
 胴体部と地面に埋まった左足部とだけが残る『灼炎』に歩み寄って、すすきが小さなため息をつく。
「やれやれ、制服が泥まみれだ。明日までに乾けばいいんだがな。その点お前は、汚れても構わない服装で良かったな」
 上下とも青のジャージ。衙は体育の時間に強制連行されたため、体操服姿で戦闘していたのだ。今考えると、結構不恰好だったかもしれない。
「良かったなって……ところどころ擦り切れて穴が開いちゃいましたよ。困ったな、コレ……」
「それは敵の攻撃を避けられなかったお前が悪い」
「うっ……」
 董士の手厳しいツッコミに、衙は何も言い返すことができず、項垂(うなだ)れるしかなかった。
「ま、ま、(しおり)(つくろ)ってもらえば良いではないか?」
 意味ありげに、すすきはにやりと笑った。
「な、何で栞さんが出てくるんですかっ」
「さあ? 何でだろうな?」
「す、すすきさんだって、董士にお姫様抱っこされて喜んでたじゃないですかっ」
「ば、馬鹿を言うな! 喜んでなぞおらんわっ」
 全く実の無い二人の口喧嘩を無視して、董士は『灼炎』の機体を調べていた。“耀鍛”状態の剣で荒っぽくその胴体部を解体していく。魔力による防御壁を失った装甲は、思ったよりも簡単に刃を通した。開きにされた機体から、複雑な回線に接続された卵大の石が現れた。
「これのようだ、魔力を蓄積していたのは」
 切断面の粗い水晶に似たその石を、董士はすすきへと無造作に放り投げた。
「……っと! いきなり投げるな、危ない」
 衙と言い合いを続けていたすすきは、投げられた石に気付くのが遅れたが、取り落としそうになりながらもなんとか両手でキャッチした。
「ふむ……ウチの方で調べてみよう」
 すすきは、覗き込むようにその石に目を近づけた。石の中では消えかかった蝋燭(ろうそく)の灯を思わせる赤い光が、微かに揺らいでいた。
「確かに、『(アカ)』魔力だな、これは……あ、消えた」
 赤い光は、静かに消え去った。しばらくその石を様々な角度から見つめていたすすきだったが、この場で考えても仕方がないと思ったのか、制服のポケットに滑り込ませた。
 さて、学校に戻るか、とすすきが言おうとした時、聞き慣れない声がすすきの声より早く三人の耳に届いた。

「うわぁ、“魔操皇機”、やられちゃってるじゃないですか」

 その声に反応して三人が天を仰ぐと、一人の男が空中に立ち、こちらを見下ろしていた。人間の外見年齢で言えば、20代後半といったところ。ウェーブのかかった長い赤髪を、後頭部でひとつに纏めている。
 見えないエレベーターに乗っているかのように、すう、と下降してくるその男と距離を取るべく、三人はその場を飛び退いた。
『灼炎』の残骸のそばに降り立った男は、無残にも破壊されたその機体を細い目でまじまじと見つめ、困った様子で口を開いた。
「タイムリミットがそろそろだから来てみたら……あーあー、こんなにしてくれちゃって。シーイン様に報告するの、僕なんですよ? 参りましたねぇ」
 そう言うと男はぐるりと首を回し、自分を取り囲む三人の退魔師の姿を眺める。
「貴様、何者だ!」
 張り詰めた声で、すすきが問うた。
「しがない『朱』魔族ですよ。名前は、ブラント・ファルブリーと申します。ああ、これがファルブリー家の家紋ですので、以後お見知り置きを」
 言いながら、男は自身の前髪をかき上げた。左眉の上に、(シグマ)マークに似た紋様が赤色で刻まれているのが明らかになる。
「そんなに睨み付けないで下さいよ。今日はあなた方と戦うつもりはありません。三対一じゃ分が悪そうですしねぇ。とりあえず、あなた方がガラクタにしたコイツの頭を回収に来ただけですから」
 大げさに肩を(すく)めて見せて、ブラントは衙が切り落とした『灼炎』の頭部を拾い上げた。
「そう言われて、『はいそうですか』と見逃すとでも思っているのか?」
 董士が、その手の剣の切っ先を、ブラントに向けた。
「思っていませんけど……時間がありませんので」
 突如として、空に穴が開いた。空に穴が開く、というのは奇妙な表現である。が、その場にいた退魔師三人は他の表現を思い付かなかったし、誰か違う人間が見てもそれは同様だったろう。
 ブラントの体が、先程降りてきたのと逆の動きで上空へ昇っていく。空にぽっかりと開いた黒い穴に向かって一直線に上昇したブラントは、そのまま穴へと入り込んだ。その体が上半身から順に穴の中へと消えてゆく。最後に彼の足先が通過した後に、最早空中には漆黒の円しか存在していなかった。
「あれが……“門”」
 衙がつぶやく間に、黒円はみるみる縮まり、黒点となって――消えた。




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