(みお)には、訳が解らなかった。
(何よ、アイツ。いきなり怒り出して。あたし、何か悪いこと言った?)
 学校帰りに偶然、真人と出会って、いつものように下らない話をした。軽く(けな)し合いながらの、いつもの会話。それが、真人の髪のことに触れた途端、彼は怒鳴り散らして走り去ってしまったのだ。
(『異常な、奇妙な髪』? 染めてるんじゃ、ないの?)
 少しの間、その場に立ち尽くしていた澪だったが、傘を持つ手に力を篭めて叫んだ。空気の振動が、雨粒をも震わせた、かにも見えた。
「だからって、あの態度は許せーんっ! 何サマのつもりだぁ!」
 道行く人が何事かと澪の方へ振り向く。
「あ、何でもありませんから。スミマセ〜ン」
 ぎこちない愛想笑いで応えた後、彼女は真人の逃走した方向へと駆け出した、ところで一旦後退。真人が投げ捨てた傘を乱暴に拾い上げ、閉じて片手に持って再走。
 幸い、この先は一本道だ。必ず追い付いて、取っちめてやる、と固い決意を胸に澪は疾走した。
 いない。いないいない。いないいないいないいないいない。絶え間なく視線を移動させて走りながら、心の中で連呼した。
 短距離走の速度が長時間持続する筈もなく、3分も走ると足は急激に重くなってきた。スピードが徐々に落ちていく。それでも、足を止めない。半分は意地。そして残りの半分は……自分でも、よく解らない。
 一本道はとうに通り過ぎた。さっきから、勘だけで進路を決めて走っている。
(アイツ、何処まで行ったのよ。あぁ、何か走ってる自分が馬鹿らしくなってきた。どこかで道の選択、間違えたかなぁ。大体、アイツ速すぎじゃないの。追いかける側の身にもなってみなさいよね)
 体の活力に反比例して、思考が乱雑になっていく。
 もうやめようかな、と思った時、遠目からでも彼のものと分かる金髪が視界に飛び込んできた。
(見つけたぁ……っ!)
 三柴公園の入り口で急停止して、猛々しい呼吸を何とか静めようとする。
 公園の休憩所のベンチに、真人はいた。その側に何故か董士もいたが、そんなことは今の澪にとってはどうでもいい。何より、そのどうでもいい男は彼女が公園に来てすぐに、どこかへ歩き去ってしまった。
 一歩。澪が真人の方へ進む。二歩、三歩、四歩。ゆっくりと、確実に進む。三十六歩目で、澪は真人の目前に辿り着いた。近付いたらまた逃げるかと思ったけれど、彼はそんな素振りは見せなかった。
 真人に対する文句を吐き出そうと、澪が息を吸い込んだその時。
「怒鳴って……悪かったな」
 痛々しい程に自責を含んだ声に、先を越された。吸い込んだ息は、吐き出すことができなかった。
「この髪は、地毛。八方の血を引く奴は、こんな色になるんだよ」
「……何で、怒ったのよ」
 面白くなさそうに、澪が尋ねた。
「それは……ちょっと、イラついてただけで、単なる八つ当たりだよ」
「――嘘」
 真人の時間が一瞬、凍りついた。
「そんな単純なモノじゃないでしょ、あの怒り方は。アンタは口悪いし、怒鳴るのだって珍しくない。だけどあの時、何て言うか……傷ついてた、じゃない。ホントに単なる八つ当たりだったとしても、あたしがアンタを傷つけたのは、事実でしょ? だったらあたし、アンタに謝らなきゃいけない。……ゴメン」
 おかしい。澪はそう思った。自分は目の前の男に文句をぶつけるために走ったのではなかったのか。それがどこでどう間違えて、こんな状況になってしまったのか。
「オマエが何で謝るんだよ……」
「あたしの勝手な想像、なんだけどさ。もしかしてアンタ、その髪のせいで色々と苦労したんじゃないの? 何て言うんだろ、コンプレックス、みたいなの。あたしも髪の色で仲間外れにされたりとかあったから、何となくそうじゃないかなって思うんだけど」
 澪の髪は、茶色がかった琥珀色。肩口くらいまでのその髪は、真人ほどは目立たないが、やはり変わった色だ。
「オマエ、その時どうしたんだ? 仲間外れにされて、辛くなかったのか」
 いつも溌剌(はつらつ)とした澪の姿からは、そんな過去は想像もつかなかった。
「ん〜、正直辛かったよ。ケンカもよくした。でもね、あたしの価値は髪の色で決まるわけじゃないから。他人と髪の色が違おうが、あたしはあたし。自信持って胸張ってりゃ、わかってくれる友達もいたし」
「……オマエは、強いんだな。そんな風に考えること、俺にはできなかった」
 真人は、澪と自分の間に、見えない壁のようなものを感じた。
(俺はコイツみたいにはなれねえ。せいぜい、自分の傷に気付かないフリをして、誤魔化して生きていくのが精一杯だ。だから、それに耐えられなくなった時、今日みたいになっちまう)
 そう思って少し俯いた真人の頬を、涙のように雨水の残滓(ざんし)が滑り落ちた時、悪戯(いたずら)がバレた時の子どものような顔をして、澪が言った。
「なーんてねっ。あたしだってそんな風に割り切れてないよ。ただ、ただね。あたしの髪のこと、『キレイだ』って言ってくれた友達がいたんだよね。その子の言葉かな、あたしを勇気付けてくれたのは。……アンタには、ないの? そういうこと、言ってもらった経験」
「……やっぱ、俺はオマエとは違う。ねぇよ、そんなコト」
 真人の髪を見て、褒めてくれた人などいなかった。距離を取られるか、異端として扱われるか、どちらかだった。
「えぇ? ないの? あたしはキレイだと思うんだけどなぁ」
 澪にとっては、何気ない一言だったけれど。優しい風が、真人の頬を撫でた気がした。

 誰に冷視されようと。
 皆が自分を避けようと。
 如何な責務を背負おうと。

 ――オマエがそう言うなら、まあイイか。
 口には出さなかったけれど、ただ、静穏な微笑みが真人の感情を包み込んだ。
「それにさぁ、外見より中身が大事ってよく言うでしょ。アンタの髪は確かに不良っぽいかもしれないけど、中身はすごい……すごい……」
「な、何だよ?」
 少なからず期待のこもった声でその続きを問う真人に、真剣な声で澪は答えた。
「……あほ?」
「んだとぉ!? オマエにだけは言われたくねぇよ!」
「んなっ! あたしのドコがあほだって言うのよー!」
「全部だ、全部!」
 今まで通りの(けな)し合い。今まで通りの二人。だけどそれは、今までとは、少し違う……かも、しれない。
 雨上がりの空に出た虹は、真人の髪の光彩みたいだった。

*  *  *

「シーイン様、これを使うと言うのですか?」
 白衣の研究員が、不安気に尋ねた。
 シーイン・ロンは、燃えるような赤髪をしている。その髪は針鼠のように逆立っていて、触ると痛いこと請け合いである。紅玉にも似た左目の下には、赤い刺青のような逆三角形が三つ、横一列に並んでいる。この模様は、ロン家の家紋。魔族は生まれつき、その顔の一部に家紋が刻まれているのである。
「ま、テストには丁度良いだろ。コイツの性能と、退魔師どもの実力と、両方のな」
「しかし、“魔操皇機(マソウコウキ)”の魔力消費率は、現状では高すぎて使い物には……」
「あぁ? そんなに燃費悪いのか、コイツ?」
「はい。計算では、100マージス辺りの可動時間が4分です」
「そりゃ短ぇな。フルでは何マージスまで充填できるんだ?」
「550マージスまで、可能ですが……それだけの魔力となると、そうそう集められるものでは……」
 説明する研究員をよそに、シーインは“魔操皇機”と呼ばれた巨大な人型機械に歩み寄った。赤黒く光るその機体を見回し、胴体部の背面にある小さな鉄扉を探し当てる。
「シーイン様、一体何をなさって……?」
「っと……これか、供給口は」
 エネルギー供給口に当てられたシーインの手が、炎のような赤光を放つと、機体に繋がれた計器の燃料計の数値が、急上昇した。
「20……150……380……550!」
 研究員が、驚きのあまり叫んだ。
「これでようやく22分か。やっぱり燃費悪いな、コイツ」
 不満気につぶやいて、シーインは機体を軽く叩いた。
「ま、しっかり働いて貰おうか。俺の魔力をくれてやったんだからな。“魔操皇機”機体No.001『灼炎(シャクエン)』ってトコか」
 勝手に命名して、シーインは楽しげに笑ったのだった。




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