第七話  「If you say so, I have no matter.」


 一対、三。別に負けるような人数差じゃない。何しろ相手は普通の人間、自分は退魔師なのだ。いくら“人魔術(じんまじゅつ)”が接近戦術ではないとしても、退魔の一族である以上、ある程度の体術は叩き込まれている。第一、こんなことはもう慣れっこなのだ。
「お前のその髪、何だぁ? 一年のクセに生意気じゃねぇの?」
「入学早々、いい度胸してるな、お前」
「一年は一年らしく、おとなしくしてろっつうの」
 目の前の三人が、代わる代わる口を開く。
(やっぱ、共学にしとくべきだったかぁ)
 凄んでみせる三年生の顔を見ながら、三河(みかわ)高校一年二組・出席番号三十九番の八方(やかた)真人(まひと)は、そんなことを考えた。
「あ〜、コレ、地毛なんスけど」
 面倒臭そうに、ため息混じりに声を出した。もう何度目だよ、この台詞、と心の中で嘆く。慣れっことは言え、うんざりする。全ては、この髪。八方の血が染め上げる、金の髪。そして同時に“人魔術”継承者であることを証明する、金の髪。
 金髪と言っても、真人の髪は単なる金色ではない。光の当たる角度や量によって、その色は僅かに変わる。金のオーロラ、とでも言おうか。とにかく、人一倍目立つ髪であることは疑いない。
 八方の血族が皆、この色の髪をしている訳ではない。ただ、より色彩の変化が顕著な金髪の持ち主は、“人魔術”師として優秀な資質を持っているらしい。何でも、何百年前だか何千年前だかの昔に行われた、精霊との契約に関係あるとかないとか。真人もその辺は、詳しく知らない。
 そんな事情よりも、今この場をどう切り抜けるかが、真人にとって問題だった。
「地毛だぁ? そんなハズねぇだろ、バーカ」
 口調は汚いが、まあ、一般人ならそう考えるのが自然である。
(別にぶっ飛ばしちゃってもイイけど、そーするとこの後がややこしくなりそうだしなぁ)
 入学早々、校舎の屋上で上級生に絡まれるのは良いとしても、暴力事件で退学になるのはいただけない。いくら男子校に来たことを後悔したからといって、それだけで退学するわけにはいかないのだ。
 雨の匂いがする。視線を少し上に移すと、空は重苦しいほどに黒雲で満ちていた。一雨来るな、と思って、真人の考えは決まった。濡れたくない、イコールこの場から極力早く去りたい、イコール逃げる、である。今逃げたとしても、いずれまた絡まれることは目に見えている。しかし、どうせ絡まれるなら天気の良い日に絡んでもらいたい。
 とは言え、普通に逃げても追いかけられるだけ。元陸上部だろうと、校舎内で鬼ごっこをする趣味は生憎(あいにく)と無いので、一応は譲歩を願い出てみる。
「あの〜、雨降りそうだから、また今度にしません?」
 ……どうやら、(かん)に障ったようだ。それとも、馬鹿にしたと思われたのか。
 逆上した上級生は、猛然と真人に襲い掛かった。
(うわ、素人)
 無秩序に繰り出された拳と蹴りをあっさりとよける。結果、攻撃した側がバランスを崩すことになった。そこで、支点になっている足を軽く払ってやると、三人の上級生は簡単に転倒する。
「ああ、やっぱり雨降ってきたし。濡れない内に、失礼シマス」
 自分達が倒れていることすら認識できていないような三人を尻目に、真人は屋上を後にした。

*  *  *

 三階、二階、一階。カウントしながら階段を下りて、下駄箱まで辿り着いた。貴重な放課後を、無駄に過ごしてしまった。最近は“人魔術”の稽古が厳しく、只でさえ時間が無いというのに。部活を許してもらっていたのは中学までで、それも高校に行ったら稽古に集中する、という条件付きだったのだ。
「あ〜、結構濡れたし。くっそ」
 頭に巻いていたバンダナを外すと、その臙脂(えんじ)色の大半は濡れて黒っぽくなっていた。
 学ランのポケットにバンダナを仕舞おうとした時、真人の背後で怒声がした。
「コラお前、その髪は何だ!」
 バンダナを外すタイミングが悪かった、と真人は思った。
 はあ、と大きくため息をついて振り返ると、予想通り不機嫌そうな教員が立っていた。確か生活指導の教員で、名前は松川だか川松だかそんな感じだった。実に見苦しい無精髭の生えた顎を(こす)りながら、高圧的な視線を真人に投げかける。
「ん〜? 一年だな、お前。入学早々、そんな頭でいいと思ってるのか!」
(また“入学早々”ってか。入学早々も何も、俺は生まれた時からこの髪だっつうの)
 今までに何回言ったか知れない台詞を、もう一度言わなければならない。
「あの〜、コレ、地毛だって説明しましたよね、この前」
 そう、生活指導のこの教員には、入学式の日に一度説明したのだ。
「ん? ああ、あの生徒か。しかしだな、いくら地毛とは言え、その色はどうかな。黒に染めてこれんのか」
「……それは、金髪碧眼の留学生が日本の学校に通う時は、髪を黒に染めて黒のカラーコンタクト入れろってことですか」
 あまりに不条理な言葉に、真人の声にもつい、怒気が帯びる。
「いや、それとこれとは話が違うだろう」
 ――何処がどう違うというのだ。
「まあ、地毛なのだから多少は多めに見るが、少しは自重しろよ」
 真人の迫力に押されたかのように、無精髭の教員は立ち去っていった。
「――っくそ! 何だってんだよ!」
 その後姿をこれでもか、というくらい睨みつけた真人の口の中で、そんな声が響いた。
 今のいざこざと相まって、周りの視線が一層、自分の髪に集中しているのが解る。いつもは気にしないよう努めているのだが、今日はやけに苛立ちを煽る。叫喚の衝動を喉元で強引に抑え込んで、真人は荒々しく下駄箱を開けた。

*  *  *

「アンタの髪って、面白い色してるよね」
 こんなことは。
「え〜と、何て言うか、珍しい? すごい変わった色」
 こんなことは、慣れっこである。
「何で染めたら、そんな色になんの?」
 慣れっこでは、あるが。一日に三度、立て続けとなれば話は別である。仏の顔も何とやら、だ。
 つい荒っぽくなる足取りが、地面に流れる雨水を宙に浮かせる。
「……うるせぇな」
「は?」
「うるさいっつってんだよ!」

 畏怖の視線で見られるたびに思う。
 自分は普通ではないのだと。
 好奇の言葉を掛けられるたびに思う。
 自分は異質なのだと。
 そして否応無しに思い知らされる。
 自分の、退魔師としての責任と義務。

 醜い八つ当たりだと、自分でも解っている。何も知らない相手に怒鳴り散らして、どうするというのだ。けれど、一度剥き出しになった感情は止まらない。
「んなコト、オマエに関係ないだろーが! 聞いてどうすんだよ、一体! 異常な、奇妙な髪だって笑いたいのかよ!」
 こんなことは、こんな風に苦痛を(さら)け出すことは、本当に稀なこと。だのに何故、よりによって彼女が相手なのか。
 この状態のまま誰かの隣にいたら、その人を捌け口にするだけ。思うより早く、真人は駆け出した。右手の傘が邪魔だ。投げ捨て、雨の中を走った。
 呼吸が止まりそうになったところで(ようや)く足を緩めると、三柴(みしば)公園だった。池の(ほとり)の、ちょっとした休憩所が目に留まる。木製のベンチとテーブル。屋根も在る。何より疲れた、とぼんやりと考えた時には、足はそちらに向かっていた。
 力ない動作で、のろのろとベンチに横になる。体中に(まと)った雨水が、木のベンチの色を瞬時に変えた。靴の中に溜まった雨水が気持ち悪い。体から雫がとめどなく流れ落ち、地面に当たって弾ける。耳に聞こえてくるのは、雨の音だけ。今の時間帯、晴れならば子どもたちが遊びまわっている事だったろう。今だけは、この雨が有難かった。
 とりあえず何も考えたくない。落ち着いたら、その後考えよう。そう思って瞳を閉じた時だった。
「どうした、真人」
 静かな声が彼を呼んだのは。
 ゆっくりと目を開けると、長い黒髪が風に揺れていた。
「――董士(とうじ)
「ずいぶんと、疲れている様子だな」
「色々、考えちまったんだよ」
「考え過ぎは良くないな。全てを狂わせる」
 間違いねぇ、とつぶやいて、真人は気だるそうに上半身を起こした。
「……なぁ、董士。俺の髪、変か?」
 思わず、そんな質問が口を出た。突然の質問にも、表情ひとつ変えずに董士は答えた。
「変、と言うのはあくまで相対的な言葉だろう。お前と同じ髪を皆がしていたら、それは変でも何でもない」
 じゃあやっぱり変だな、俺の髪は、と(こぼ)して真人は苦笑した。
「変だと言うのなら、その髪が嫌だと思うのなら、染めたらどうだ。それで楽になれるのなら、別に悪いことではないだろう」
「負けるみたいで、嫌なんだよ。この髪の色は生まれつきだ。髪染めちまったら、この髪が悪いことだって自分で認めるみたいで、嫌なんだよ。何処も悪いことなんて、在りはしねぇのに」
「なら、考えることはない。堂々としていれば良い、それだけだ。(もっと)も、それが難しいからお前は疲れているんだろうが、な」
 池の水面の波紋が、徐々に減少していく。休憩所から出て、董士は空の様子を確かめた。
「雨も上がったし、雨宿りは終いだな。後は、高瀬妹に任せる」
「は? 何でアイツが出て来るんだよ?」
 董士の方を怪訝(けげん)そうに見やって、その視線の先にいる人物の姿を捉えて、真人は驚倒した。三柴公園の入り口には、数分前自分が八つ当たりをした相手がいたのである。息を切らせ、目の座った女の子が。
「真人、考え過ぎは確かに良くないが……たまには必要だと、俺は思うぞ。考え過ぎる自分を、そう罵詈(ばり)するものでもない。まあ、頑張れ」
 その『頑張れ』は、何に対する物だったのか。言い終わると董士は悠々と(少なくとも真人にはそう見えた)、去ったのだった。




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