第六話 「君だけ」 ベッドの中で、 (あ〜……寝れない) 自分の鼓動が、やけに早い気がする。三時間ほど前に、 (熱い、な) 何度も巻き戻しては再生される、先刻の画像と音声。懸命に遮ろうとしても、再び押し寄せる記憶の波。 「あー! 馬鹿じゃないのか、俺ッ!」 本日十八回目の寝返りをうったところで居たたまれなくなって、衙は跳ね起きた。 「一汗、かいてこようかな……」 そういえば、栞と 数十秒後、紺のパーカーにストレッチという、身軽な格好に着替え終わって、衙は部屋を出た。静かに廊下を歩き、階段へと向かう。 「さむっ……」 熱くて寝付けなかったのが嘘のように、気温は低かった。何であんなに熱く感じていたのか、全く不可解である。 栞と澪の部屋の方をちらと見てから、階段を下りる。最後の一段を下りたところで、 (アレ?) と衙は不思議に思った。暗闇で満ちている筈の一階の廊下に、ダイニングのドアガラスから光が漏れている。 消し忘れたっけ、と首を捻りながらそのドアを開けた彼は、その目を疑った。何故ならそこには。 「おう! オマエも飲むか〜?」 酔っ払った母がいた。 「母さん、寝たんじゃなかったのかよ……」 「はっはー! 夜はこれからだろー?」 半ば呆れた口調で言う衙に、90%カラになった一升瓶を高々と突き上げて、 「ま、座れやマイ息子」 「“マイ息子”って。変だよ、ソレ」 引きつった笑顔を向けながら、衙は引かれた椅子に座った。 テーブルの上には、既に飲み干された一升瓶が二本。 「明日の朝、早いんじゃなかったっけ? こんなに飲んで大丈夫かよ……」 「お母サマをナメてはいけない。このくらい、どーってコトないのさぁ〜」 完全にできあがった様子の母に、 「今のアナタは“どっーてコトある”ように見えるんですが」 心底 「大体、一回寝室に入ったくせにどーして下りてきてるんだよ」 歩夕実の持つ一升瓶を取り上げようと、衙が手を伸ばす。 「それはお互いサマだろ〜?」 そんな一言が、衙の胸にぐっさり刺さる。悶々としていた自分を思い出し、衙は視線を泳がせた。 「そ、そりゃ、確かにそうだけど……ともかく! もう飲むなっ!」 風を切る音が聞こえるほど素早く、衙は母の手から酒瓶をひっぺがした。 「何だよ、ケチィ。 半端なく不満そうな顔と声で、歩夕実が文句を言う。 「父さんじゃなくても、この状況見たら誰でも止めるって、全く」 言いながら衙は席を立ち、手際よくテーブルの上を片付けていく。 「――魔物退治、続けてるんだな」 一瞬、衙の動きが止まった。そうだよ、と短く答えて、衙は片付けをやめ、ゆっくりとした動きで再び席に座った。 歩夕実には、栞と澪が居候することになった経緯を、まだ話していなかった。話しておくべきだと思ったが、母には自分が魔物退治を続けていることを、あまり言い出したくはなかった。たとえ気付かれているとしても、自分から言い出すことはできなかった。全てを知る、母には。 「二人が魔物に襲われたのをオマエが助けたんだって? しおりちゃんから聞いたよ、オマエが帰ってくる前に」 つい数分前の 「母親にも―― 「あ、ああ……そうだ、母さん。そのことで、聞きたいことがあるんだけど」 早波には、“今は言えない”と言われた。“時間が必要だ”とも。けれど、やはり気になる。彼女が魔物を、父を、知っていた、 「早波さんは、魔物の存在を知っていた。二人が襲われることも、予想してたみたいだった。それに、俺のこと、『壮一さんに似てる』って。母さんだって、早波さんのこと知ってるみたいだし、一体、どういうことなんだよ?」 「そうか。お前、覚えてないのか」 語気を強めて尋ねる衙とは対称的に、凪のような静けさで歩夕実は答えた。 「覚えて、ない?」 その意味が理解できず、思わず衙は、母の言葉を繰り返した。 「単純な、ことさ。 何年か昔、ある家族が“ 呆気に取られた表情の衙を気遣う素振りもなく、歩夕実は淡々と述べる。 「あ、そうだ。オマエ、“聖禍石”のことは知ってるんだっけ?」 「し、知ってるよ、一応。この前知り合った退魔師の人に聞いた。それより、母さんは知ってたのにどうして教えてくれなかったんだよ」 納得できない、といった面持ちで、衙は聞いた。 「必要ないと思ったからさ。第一、もともと私は、オマエが退魔師をすることに反対なんだぞ。……仕方ないから、許してるけどさ」 ――“仕方ない”、その通りだ。退魔師を、やめるわけにはいかないから。やめる、わけには。 「で、知り合った退魔師っていうのは? 歩夕実の質問で、衙の思考は途切れた。途切れて良かった、と衙は思った。 「そ、その三人、だよ。何で……母さん、そんなことまで」 「はっ。相変わらずだな、退魔眷属の提携は」 どこか 果てなく溢れて来る疑念を衙が口にしようとした時、それを遮るように歩夕実は席を立った。 「……どうも、喋り過ぎだな。やっぱり酔ってるのか、な」 私はもう寝るわ、と続けて、足早に部屋を出る歩夕実を、衙は慌てて追いかけた。 「待てよ、母さん! 俺はまだ、何も理解できてない!」 その声に、歩夕実は階段を上る足を止めた。が、振り向こうとはしない。構わず、母の背中を見上げて、衙は続けた。 「俺、何も知らなかった。“聖禍石”のことも、退魔の一族同士に昔から強い結びつきがあったことも。俺が知ってたことと言えば、小さい頃、父さんに教えてもらった記憶の断片だけ。“門”だとか、“ 歩夕実が、衙の方を少し振り返る。その横顔は、今まで見た母のどの表情よりも殺伐としていた。 「そう、だったさ」 それだけ言うと、歩夕実は再び衙に背を向け、そのまま二階へとその姿を消した。闇に溶けるように消えていく母の姿を、衙は身じろぎひとつできずに眺めていた。 |