「よしっ! 最高傑作!!」
 栞は自分の作ったケーキを見て、満足そうに言った。適度に膨らんでふうわりとしたスポンジ、まろやかでしっとりとしたクリーム、秀麗なデコレーション。どれを取っても今まで自分が作ったケーキの中で最高の出来栄えだ。
「うひゃー、おいしそぉ〜」
 澪が、今すぐにでも食べたい、といった声をあげる。
「こりゃホントにスゴイね、しおりちゃんケーキ屋さんになれるんじゃない?」
 あながち冗談でもない様子で、歩夕実もその出来を称えた。
「そんな……でも、一生懸命作ったから、そう言ってもらえると嬉しいです」
 照れ笑いをしながら俯く。
「照れちゃって可愛いねぇ、しおりちゃんはっ。もうウチの嫁に来な、嫁にっ」
「え、そそ、そんなっ、わたし、あのっ」
「……一応、冗談だったんだけど」
 あまりに過剰な栞の反応に、呆気に取られた歩夕実がぽそりと言った。その場の空気が一瞬固まる。
「え、あ、冗談、そ、そうですよね」
「そんなに焦るってことは、つかさを好いてくれてるか果てしなく嫌ってるかのどっちかかな?」
 歩夕実がからかうような笑顔で、栞の顔を覗き込む。と、澪が勢い良く挙手した。
「はいはいはーい! 妹の目から見て、後者はないと思いマース!」
「……あ、う、そ、そのっ、ケーキ! ケーキ……冷蔵庫に、入れておきますね」
 何とか話題を逸らそうとする意図を前面に押し出した、滅茶苦茶ぎこちない120%作り笑いが炸裂した。澪と歩夕実は思わず顔を見合わせると、思いっきり吹き出した。
(ううぅ……お願いだからそんなに笑わないでぇ)
 二人の笑い声を一身に受けつつも冷蔵庫にケーキを入れ、
(と、とにかくこれで、あとは衙さんの帰りを待つだけ、っと)
 小麦粉で真っ白になったエプロンを栞が外したその時、
「ただいまぁ〜……」
 玄関で衙の声がした。
 突如、歩夕実の笑い声がぴたりと止まったかと思うと、その直後にはもう彼女の姿は今いた場所から掻き消えていた。瞬間移動したみたいに。

 衙が自宅に帰り着いた時には、時計の針は7時を越えていた。
「ただいまぁ〜……」
 玄関のドアを開ける、と。
「!?」
 すこん! と小気味の良い音を立てて、衙の額にスリッパが命中した。
「お〜そ〜いぃ〜!!!」
 見ると、そこには三週間と四日ぶりの母の姿があった。
「……鬼、だ」
 冗談でもなんでもなく、大真面目な顔で衙はそう言った。
「なんだとコラァオマエは何を考えとるんじゃ一体私らがどれだけアンタの帰りを待ってたと思ってって言うか母親より部活優先ってどんな神経してんだむしろ詫びろ土下座で詫びろさあ詫びろ!!!」
 一息で言い切って、歩夕実は肩で息をする。
「……じゃ、夕飯にしよっか!」
 ストレスを一気に開放し、なんともサワヤカな笑顔で歩夕実はそう言った。心なしか後光が差して見える。
「仏サマ?」
 最後の歩夕実の笑顔だけを覗き見た栞と澪の二人は、思わず顔を見合わせてつぶやいた。

「どうだ? うまいか? うまいだろ? そ〜か、うまいか!」
 自分の手料理を食べる息子の反応を気にする歩夕実を見て、楽しい人だなあ、と栞は思った。衙が帰ってくる前、歩夕実が言っていた言葉を思い出す。
『ホラ、私ほとんどウチにいないだろ? その分、たまに帰った時はさ、溜まってたスキンシップを全部使うのさ。またしばらく会えなくなるんだから、衙がうんざりするくらいがイイんだよ』
 そう言って笑った歩夕実の表情は、どこか申し訳なさそうにも見えた。衙もおそらく、そんな母の心情を理解しているのだろう。部活で遅く帰ってきたのは、ささやかなお返し、もしくは照れ隠し、といった所か。

「ごちそうサマ」
「おう、お粗末」
 食事が終わっての母子のやり取りも、一見冷めているようではあるが、栞の目には温かく映った。テレビでは毎週見ているドラマが放送されているが、栞はつい、二人の方に視線を集中させてしまう。何より、歩夕実の前で見せる衙の表情はいつもと違い、新鮮だった。衙の隠れた一面を見た気がして、栞は少し嬉しかった。
「お姉ちゃん、ケーキ出さないの?」
 心此処に在らず、といった様子の姉に、澪が耳打ちした。熱い視線を衙へと向ける姉への忠告だったのか、それとも単にケーキが食べたかっただけなのかは彼女にしか分からない。
「……えっ? あ、そうね」
 夢から現実に戻ったかの様に、栞は慌てて席を立ち、キッチンへ向かった。澪が待ってました、とばかりに拍手をした。栞は冷蔵庫からケーキを取り出し、慎重にテーブルへと運ぶ。
「ふふふ〜、見て驚くなよ、つかさ?」
 歩夕実が、肘で衙の脇腹を小突く。そして、歩夕実の言葉通り、衙は驚きの声をあげる――筈だった。
 突然この地域に地震なんてモノが来さえしなければ。
「……っ!?」
 震度4。立っていた人間がバランスを失うには、十分すぎた。
 べしゃり。
 全くもって無味乾燥な音を立て、ケーキは床に落ち――潰れた。
「栞さん、大丈夫!?」
 地震の揺れで倒れ、膝を付いた栞に、衙が駆け寄る。
「私は、大丈夫、ですけど……ケーキが」
 床に横たわったケーキは、原型が分からぬほど変形していた。
「でも、栞さんが無事で良かったよ。立てる?」
 ちょっと残念そうな声でそう言って、衙は栞に手を差し伸べた。
「そう、ですね。怪我がなかっただけ、幸運だった、って思わなきゃ……」
 ――あ、泣きそう。
 そう思って、栞は(うつむ)いた。
「……それに、このケーキ、そんなに良い出来じゃ、なかったですし」
 ――ダメ、笑わなきゃ。衙さんの誕生日なんだから。
 ドラマを放映していたテレビから高い音の連絡音が鳴り、画面上部に「地震速報」の白い文字が表示された。衙は ちら、とテレビを見て、座り込んで動かない女の子に視線を戻した。

「……ん、うまい」

 その声に栞が顔を上げると、ケーキの前にしゃがみこんだ衙がいた。ケーキ上部のクリームを再度指ですくい取り、舐める。
「おいしいよ、コレ。今まで食べたケーキの中で、一番」
 にかっ、と衙が笑った。
 瞬間、何かが栞の中で弾けた。彼女自身何が何だか分からぬまま、気付いた時には、目の前の衙に抱きついていた。
「――っ、衙さん……衙さん……っ……」
 泣きじゃくりながら、衙の名前を呼び続ける。
「ちょっ……! 栞さん、服、服汚れちゃうって……! クリーム付いちゃうよ! ……っと……あの……」
 どうしたら良いのか分からず、衙はただただ口をぱくぱくと動かす。
 胸の中でそっと一言、誕生日おめでとうございます、と(ささや)いた栞に、
「……ありがと」
 まるでその言葉が聞こえたかの様に、衙は小さくつぶやいた。

*  *  *

「……なんか、私達おじゃま虫って感じかなぁ、みおちゃん?」
「……出てった方がイイのかなぁ、つかさのお母さん?」
 地震が起きてから椅子に座って固まったままの二人が、()の様な声で(ささや)き合った。




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