第五話 「突然やってくる……色々。」


 「絶〜っ対、なんかマチガエてるよ。てゆーか卑怯だよ」
 皿を洗いながら、(みお)はぶつくさと文句を言う。現在、柊邸は澪の誕生パーティーの後片付けの真っ最中である。すすきや董士(とうじ)真人(まひと)の三人は帰途に着き、家の中には静けさが訪れていた――澪の不平以外は。
「なんでアイツがあたしより年上なワケ? しかも3月26日って……一ヶ月も違わないじゃん、やっぱ不公平だ」
 彼女の愚痴の原因は、先刻聞いた真人の誕生日にあった。実質的には真人と澪の誕生日は24日しか違わないのだが、日本の教育制度により、澪は彼の一学年下になってしまったのだ。
「ねえ、お姉ちゃんとつかさもそう思うでしょー?」
 愚痴の矛先(ほこさき)を、ついつい他人に向けてしまう澪であったが、ふと気になった事があった。
「――そういえば、つかさの誕生日っていつなの?」
 澪の質問に、(つかさ)は目を泳がせながら、言いにくそうに答えた。
「あ〜、誕生日ね、誕生日……
……4月、20日……」
「はい?」
 思わず、(しおり)と澪の二人が間の抜けた声をあげた。
「だから――……4月、20日」
 繰り返す衙に、
「明日じゃん!!」
 姉妹はベタベタなツッコミを入れたのだった。
 衙は別に自分の誕生日を忘れていたわけではない。ただ、皆に祝ってもらう、というのは彼の性に会わなかったし、栞と澪の二人に手間を取らせたくない、という気持ちもあった。誕生日直前に二人に知られてしまったため、その配慮は結果的に裏目に出てしまったのだが。
「明日、学校から帰ったらすぐに材料を買いに行って、急いでご馳走を作りますから! あっ、ケーキも作らなくちゃ……! それに、すすきさん達にも連絡を――」
 あたふたと慌てた様子で、栞が言った。
「ああ、いいの いいの。俺は、明日の自分の分も今日のパーティーで食べたからさ。美味しかったよ、栞さん」
 にこっ、と衙が笑う。
「そう、ですか……
……いいえ! やっぱりダメです! 衙さんの誕生日も、ちゃんとお祝いしないと!」
 衙の屈託のない笑顔に思わず従いそうになったものの、栞は自分の意見を曲げようとしない。
(栞さんって、意外と意地っ張り?)
 栞は きっ、と眉を上げて凛々(りり)しい表情を作ったのだが、そんな仕草も衙の目にはかわいく映ってしまった。
「いや、ホント気を遣ってくれなくて良いから。
……それに、人を呼べないのには、もう一つ理由があるんだ」
 本当は、こちらの方が主な理由なのであるが。
「……誕生日は、母さんが帰って来るんだよ」
 何とも複雑な心情を含んだ声で、衙は言ったのだった。

*  *  *

「つかさぁ! 元気にしてたかーっ? ……ありゃ。いないのか」
 当たり前である。現在時刻は4月20日水曜日AM10:00――高校で丁度二時間目の授業が始まる頃だ。
「……ち。アイツも有休、取りゃあ良いのに」
 無茶苦茶な事を言いながら、(ひいらぎ)歩夕実(ふゆみ)は小さなサングラスを外し、三週間と四日ぶりの我が家を見回した。
(うむ。綺麗にしているようだな)
 満足そうに微笑むと、
(今日は久々に母の手料理を堪能させてやろうではないか!)
 そんな事を考えながら、キッチンに向かう。
「なんだァ? ほとんど空っぽじゃんか」
 冷蔵庫を開け、その内容量の少なさに驚いた。昨日のパーティーの料理で食材はあらかた使い切ってしまったのだが、歩夕実がそんな事情を知るよしもない。
「しゃあねェ、買いに行くか」
 つぶやいて冷蔵庫を閉め、キッチンから立ち去ろうとした歩夕実だったが、『柊家 家事当番表』が目に止まって、足を止めた。掃除・洗濯・料理などの項目が曜日ごとに分けられ、担当者の名前がそれぞれの欄に記されている。
(栞と……澪?)
冷蔵庫の扉に磁石で止めてあるその表を凝視し、自分の息子以外の二つの名前を確認する。
(居候の女の子の名前なんだろうが――はて、何処かで聞いたような?)
 眉間にシワを寄せて、歩夕実は首を(ひね)った。が、すぐに考えるのを止め、キッチンを後にした。
(ま、会ってから考えるか)
 彼女はもともと、考えてから行動する性格ではない。悩み事は解決できそうな時に悩む、というのが彼女の信条なのである。

*  *  *

 栞が学校から帰り、柊邸の玄関に入ると、家の中は美味しそうなトマトシチューの香りでいっぱいだった。玄関には衙と澪の靴は無く、見慣れぬ黒いパンプスが目にとまった。
『学校から帰ったら、多分母さんがいると思うよ
……毎年 有休取るんだ、あの人』
 昨日の夜、そう言いながら乾いた苦笑いをした衙の顔が、栞の脳裏に浮かぶ。
(衙さんのお母さんが、いる)
 そう思うと何故か少し緊張してしまい、栞は ごくり、と喉を鳴らした。
 栞が意を決して靴を脱ぎ、廊下を進み始めたその時、リビングへのドアが開いて、一人の女性が姿を現した。
「おやあ? しおりちゃん? それとも、みおちゃんかな? 初めまして、衙の母の柊歩夕実、と申します。以後お見知りおきを」
 緊張する栞とは正反対に、和やかな様子で笑いながら、歩夕実は話しかける。衙の母親なのだから若くても30代後半のはずであるが、その端麗な容姿は20代でも通用しそうだ。長い睫毛(まつげ)に切れ長の瞳。短めだが(つや)やかな黒髪。落ち着いた色の口紅と青いピアスが、大人の女性の雰囲気を(かも)し出している。
「あっ、た、高瀬栞、です! お世話になってますッ!」
 背筋を ぴん、と伸ばし、ぎくしゃくとした硬い動作で礼をする栞の肩を、歩夕実は ばしばしと叩いた。
「あはは、そんなに(かしこ)まらなくてイイってば! こっちまで硬くなっちゃうじゃん、ねぇ?」
 明るい笑顔に、栞の緊張も(ほぐ)れる。
 ――が、その歩夕実の笑顔がみるみるうちに変化し、真剣な表情になった。
「高……瀬?」
「……あの、何か?」
 突然険しい顔つきになった歩夕実を見て、栞が恐る恐る尋ねた。すると、険しい顔は一転、再び透き通るような笑顔になった。
「いや〜、何でもナイよ、ゴメン! さ、さ、立ち話もなんだから部屋に入ろ〜! あ! その前に制服を着替えた方がイイね。部屋は二階を使ってるんだよね? さ、さ、階段を上った、上った〜!」
 まだ不思議そうな表情の栞の背中を押し、有無を言わさず二階へと促す。戸惑いつつも栞が階段を上り、二階の一室に入った後で、歩夕実は ぽつりと、そして苦々しくつぶやいた。
「……まいったね、こりゃ」
 ――やはり運命か、それとも宿命か。
 早波(さなみ)は娘に語っていないのだろう、あの事を。当たり前だ、できるなら一生語らずに済ませたいハズだ――
 口を(つぐ)んでいるのに、まるで自分が独り言を言っているような錯覚を感じながら、歩夕実は思った。
 階段を下り、廊下の電話台の前で歩夕実は立ち止まった。
「アンタの(まも)った女の子を、今度は衙が、か。
……ったく、最後まで責任持てよ。途中でくたばりやがって」
 写真立ての中で笑っている壮一(そういち)を ぴん、と人差し指で小突いて、歩夕実は哀しそうに微笑んだ。

 歩夕実が料理の準備をしてくれていたため、栞はバースデーケーキを担当することになった。歩夕実は市販のケーキで良い、と言ったのだが、栞が作りたいと願い出たのだ。
 「ウチの息子は幸せモンだねェ」と、歩夕実はしみじみと言ったのだった。
 そして現在。ケーキ作りをする栞をよそに、澪と歩夕実の二人が楽しそうに話をしている。栞に25分ほど遅れて帰宅した澪だったが、歩夕実は澪と馬が合ったらしい。じゃれあう二人の声に思わず顔を(ほころ)ばせながら、栞はクリームを泡立てる。
「にしても、肝心のつかさは何処をほっつき歩いてんだ!」
 時計を見て、歩夕実が不機嫌そうな顔をした。
「そういえば、今日は部活で遅くなるとか言ってたよーな」
「何!? 久々の母との再会よりも、部活を選ぶと言うのか、アイツは――!  つかさなんてやめて、しおりちゃんとみおちゃんをウチの子にしたいねぇ〜」
 そう言って澪を抱きしめ、その頭をわしわしと撫でる。
「ちょ、……あひゃひゃひゃ! くすぐったいよ〜!!」
 げらげらと騒ぐ二人の様子に思わず顔を綻ばせながら、栞はクリームを泡立てるのだった。

*  *  *

 ばん、と机を両手で叩き、すすきが言った。
「どういう事ですか、お爺様(じいさま)?」
 その真っ直ぐな視線の先には、彼女の祖父、時白(ときしろ)仁斎(じんさい)が無表情で正座している。何の反応も見せない祖父に構わず、すすきは続けた。
「『柊』邸には確かに“魔族” ――いえ、“魔将(ましょう)”級の残留魔力がありました。ですが、何故(なにゆえ)一切の記録が無いのですか? “魔将”の被害者の記録が残らないなど、有り得ない話ではないですか!」
 仁斎は、(なお)も無反応である。
「第一、『柊』は“降魔(ごうま)能力(ちから)”を持っています。“魔将”と“能力”の二つの条件が揃っているのにその記録は皆無である、と言うのは、奇妙どころの話ではありません。異常です」
 すすきの話を聞いているのかいないのか、仁斎は眉一つ動かさず茶を(すす)った。
「『時白』はおろか『八方(やかた)』の記録書にも『柊』の名は見つけられませんでした。記録から抹消された存在、『柊』とは何なのですか!?」
 声を荒らげ、すすきは祖父を見つめた。ことり、と湯飲みを置いて、仁斎は(まぶた)を閉じ、大きなため息をついた。
 沈黙。
 5秒ほどの静寂であったにも(かかわ)らず、すすきにはその無音の空間が永遠であるように思われた。
 その静寂を欠片(かけら)も壊さずに、ゆっくりと仁斎が瞳を開く。
「……背任者の名だ」
 すすきの体を押し潰す程に重い声が、響いた。
「すすきよ。退魔の一族同士が、(いにしえ)より深く結びついて存在してきたのは知っておろう」
 針のように細く、鋭い眼差しがすすきを射抜く。
「『柊』は10年前、その繋がりから断絶した一族だ。お前の一世代上の者ならば、誰もが知り、そして口に出さぬ名だ」
 すすきは一瞬、何とも嫌な感じがした。それが何なのか分からないが、体中をざわめくその感覚に、すすきは吐き気さえ覚えた。
「何故、『柊』は断絶したのですか?」
 全身を支配する不快感に()えつつ、すすきは尋ねた。
 しかし。
「この事は口外無用。二度と語るな」
 すすきの質問には答えず、仁斎はそれだけ言って再び口を結んだ。
「……!
――失礼、致します」
 仁斎の態度から、これ以上は何も聞き出せないと判断したすすきは、十分な説明を要求したい心を抑え、退室しようと立ち上がった。
「すすき」
 意外にも呼び止められて、(ふすま)を開けようとした手が止まる。
「“索色之法(さくしきのほう)”を行った際、『(アカ)』以外に感じた色はなかったのか」
「私の質問には答えて下さらぬというのに、逆に質問ですか」
「そうだ」
 目を伏せ、少し息を吐き出して、すすきは苦々しい表情で答えた。
「――微かな、非常に微弱な『(シロ)』が感じられたように思います。確信が持てぬ程度でしたが」
「そうか。くれぐれも“聖禍石”から目を離すな。本来ならば時白で守護すべき物だ。その反応が僅かだからこそ容認はしたが、万一奪われることがあれば取り返しはつかぬ」
 “聖禍石”は“獄門”を開く鍵。もしも魔物の手に渡り“獄門”が開けば、人間界には魔物が大挙して押し寄せることだろう。
 しかしすすきには、父親の形見であるその石を高瀬姉妹から取り上げることはできなかった。
 ――両親を亡くした幼馴染の涙を知っているから。
 だからこそ、“聖禍石”を時白に預けるよう進言せよと言う祖父を必死で説得した。強制的に奪うことはできないと仁斎も思ったのか、数時間に及ぶ論議の末、その説得は実を結んだ。幾つかの条件と引き換えに。
 ひとつ、柊邸には魔物の侵入を阻む結界を張ること。
 ひとつ、“聖禍石”は持ち歩かせぬこと。
 ひとつ、常に柊邸近辺の魔物の気配を感知できるようにすること。
 ひとつ、“聖禍石”の所在が魔物側に知れた時、若しくはその反応が増大した時はその保管場所を時白へと移させること。
 ただ、これらの条件は栞と澪には伏せている。危険だから持ち歩くのは止めて欲しい、と頼んだだけだ。全てを告げれば、平気なふりをして父親の形見を差し出すかもしれない。それがすすきには嫌だった。
「お爺様、『(シロ)』に何か心当たりでもあるのですか」
 まるで、何か異常があることを予測していたかのような祖父の質問が、すすきには気になった。
 しかし、その答えもやはり返ってはこなかった。聞くだけ無駄だったと後悔して、すすきは退室した。
 それでもやはり、納得はいかなかった。つい、廊下を歩く足音が荒々しくなってしまう。
「退魔の一族として『背任』の行為、か……」
 背後からの声に驚いてすすきが振り向くと、そこには董士が、壁に(もた)れ掛かるようにして立っていた。
「お前……ッ! 盗み聞きをしておったのか?」
「盗み聞き、と言うのは間違っているな。仁斎は俺がいる事に気付いていた。第一、『語るな』と言う割には『会うな』と言わない辺り……俺達に『柊』と接触していて欲しいのかもしれんな。
――食えん爺さんだ」
 やれやれ、といった様子で董士は肩を竦めた。
「単に“聖禍石”の守護を優先させただけかもしれない。お爺様が、『柊』が関わるのを好ましく思っていないのは確かだ。“聖禍石”の守護について論じた時も、『柊』には関与して欲しくないといった態度だったしな。断絶した者だから、だろうが……」
「それでも、最終的には容認した。『柊』の介入を真に(いと)うのなら、容認するはずはない。そこに、『柊』が断絶した理由を知る鍵があるのかもしれん」
「ふむ、一理あるな。断絶したとしても、必ず何処かに記録は残っているはず……董士、禁書庫の方をちょっと探ってみてくれ」
 禁書庫といえば、退魔の一族内でも一握りの人間しか入ることを許されない部屋である。警備は当然、半端じゃなく固い。決して、断じて“ちょっと”探れる場所ではない。
「さらっと簡単に言うな」
「良いではないか、お前は高校行ってなくて暇なのだから」
 すすきは高校3年生。董士は同い年ではあるが、高校には行かず退魔師として生計を立てている。決して、断じて暇ではない。
「それは偏った認識だろうが、お前の。それに、暇だったら可能だという問題でも――」
「頼りにしてるぞ、董士っ」
 董士の話が終わる前に、語尾に音符マークでも付きそうな明るい声で、すすきはにっこりと笑った。




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