4月19日は、澪の期待に反しての曇り空だった。
「あ〜……どうすりゃイイんだ……」
 空を曇らせているのはこの男ではないのか、と思われるほどの暗い声で真人がつぶやいた。彼の悩みのタネは、今日澪にあげるべきプレゼントである。
(どんなモノあげるんだ、こういう時って)
 誕生会、といった(たぐい)の場慣れが少ない真人にとって、これは一種の拷問に近かった。ただ、如何(いか)に場慣れが少ないといっても、いつもの彼ならば他人へのプレゼントなど適当に決めただろう。そうできないのはやはり、何か特別な心情が作用していたのかもしれない。
 ――彼自身、気付いてはいないようだが。
 ()(かく)、悩みながら歩いていた真人は、泉李中学前の道路に偶然辿(たど)り着いてしまった。
(そういえば、(アイツ)の学校って泉李(ココ)だったっけか)
 この前話したときの記憶を引っぱり出す。自分の出身中学と同じだったため、印象に残っていたのだ。ちなみに彼は高校一年生、澪の一コ上である。
(まだ学校に残ってんのかな)
 真人はただ漠然と校舎を眺めるのだった。

 真人が泉李中学に着く一時間ほど前。澪のクラスである3年2組は、大宴会場と化していた。
(まさか、クラス全員で誕生パーティーを開くとは)
 『お祝いしてもらう』とは言ったものの、クラスメートの予想以上の盛り上がりぶりに、澪は驚きを隠せなかった。
(あたしの誕生日にかこつけて、騒ぎたいだけなんじゃあ……)
 そうは思っても、皆から自分の誕生日を祝ってもらうことは、純粋に嬉しかった。
 そして現在。澪は、僅かに残った友達と後片付けを終え、家に帰ろうとするところである。
「皆様、本日は誠に有難う御座いました!」
 澪が、わざとらしい丁寧な言葉遣いでおどけてみせる。
「どう致しまして、お姫様?」
 由佳(ゆか)がおどけ返して見せると、その場のメンバーから大きな笑い声があがった。
(あたし、クラスメートに恵まれてホントに良かった)
 笑いながら、澪はそう思った。

「あ。今、帰るトコか」
 校舎の玄関を出てきた数人のグループの中に澪を見つけて、真人は独りごちた。そして、誕生日プレゼントのことを思い出し、再び頭を痛める。
(そうだった、マジでどーすっかなァ)
 しかし、彼の悩みはすぐに頭から消え失せた。それどころではない事態に気付いたのだ。
(!! 多いな……。三つ――いや、四つ)
 近くに潜む邪悪な気配が、ぴりぴりと全身に伝わってくる。辺りを見回し、魔物の正確な位置をつかもうとした真人だったが、その場所を知って、冷や汗を流すことになった。
(ち……っ! (アイツ)らの頭上かよッ!)
 トカゲのような魔物が四匹、宙に浮いているのを認識する。
 状況は最悪。真人は澪たちに向かって駆け出し、叫んだ。
「おい、オマエら! 逃げろ!!」
 瞬間、四匹の魔物は、澪たちに飛びかかった。奇妙な黒い光が辺りに広がる。
「きゃあああッ!?」
 黒い光とともに巻き起こった突風に弾かれた澪の体を、真人が受け止めた。
「無事かっ?」
「え? アンタ、なんでココに……?」
 突然の事に、澪は茫然自失である。
「!! みんなっ!?」
 目の前で倒れている自分のクラスメート四人を見て、澪が悲鳴のように叫んだ。と、倒れていた四人がゆらり、と立ち上がった。その目には全く生気が感じられず、マリオネットのように体が動く。
(“寄生型(パラサイトタイプ)”かよ……厄介だな)
 真人が小さく舌打ちするや否や、魔物に操られた四人が、いつの間にか伸びたその鋭い爪で、真人と澪に襲いかかる。
「説明は後だ! ひとまず逃げるぞ!」
「――でも! でも、みんなが……!」
 戸惑い、動かない澪の手を取り、真人は強引に走り出した。半分引きずられるような形で澪も走り、気付いた時には、そこは中学校の体育倉庫だった。

「とりあえず、オマエは体育倉庫(ココ)に隠れてろ」
 真人が、切らした息を整えながら澪に言った。
「アンタは、どうすんのよ?」
 (にら)むように真人を見て、澪が聞いた。
「オマエの友達を助けに行くに決まってるだろーが」
「――だったらあたしも行く」
 小さく、しかしきっぱりと澪は言った。
「バカ、何言ってんだよ! いいか? アイツらは――」
「魔物に襲われたんでしょ? それくらいわかるわよ!」
「ただの魔物じゃねぇよ。特殊な型の、他の生物を宿主にして操っちまう魔物だ。オマエが寄生される可能性もあるんだぞ!」
「だからって、あたしひとりが隠れて待つなんて、できないよ!」
「わかんねーヤツだな! はっきり言うと、足手(まと)いなんだよ、オマエは!! 
オマエを(かば)いながらの行動だと、どうしても制約ができる――隙が生まれる。だから、オマエは……」
「おとなしくしてろって言うの? ジョーダンじゃないわ!! オンナのコひとり守りながら戦うコトもできないの、“人魔術(じんまじゅつ)”ってのは! ご大層な名前と理屈ばっか並べて……っ……」
 徐々に、澪の怒鳴り声が小さくなる。ぎゅっ、と固く両の(こぶし)を握り締め、必死に涙を(こら)えているのが、真人にも分かった。
「――ゴメン。でも……でも、あたしは――……っ」
 (うつむ)き、(かす)れるような声で言う澪を見て、真人は黙り込んだ。目の前で肩を震わせる女の子が、先日自分に平手をくらわせた、あの強気な女の子と同一人物とはとても思えなかった。
「……来いよ」
 体育倉庫のドアを開けながら、真人はつぶやいた。

 真人に促されて体育倉庫を出た澪の右手を、真人の左手が(つか)んだ。
「あそこまで言われて黙ってたら『八方(やかた)』の沽券(コケン)に係わるからな。
……見せてやるよ、“人魔術”」
 すう、と真人の右腕が上がる。人差し指と中指だけを伸ばし、集中する。と、二本の指先から、金色の光が放たれた。真人が手を動かすと、軽く、スローモーションの様に、金の光が宙を走る。真人は すす、と光を走らせ続ける。その軌跡が、瞬く間に光の紋章を(えが)き出した。
「血ノ盟約・紋章ノ契約・八方ノ名ノ下ニ命ズ……」
 澪がその光景に目を見張っている間にも、彼の口は言葉を紡ぎ続ける。
「望ムハ“空”、願ウハ“翼”」
 そして最後に、
「“翔風(アカルカゼ)”」
 と、真人が言った瞬間、直線と曲線の奇妙に入り混じった光の紋章が輝いた。思わず目をつぶった澪が、再び目を開くと――
 二人は、空を飛んでいた。
「……何コレ」
 つり気味の瞳を大きく見開いて、澪が驚きを声にした。
「空からの方がやりやすいからな。
っと、あそこか……」
 きょろきょろと辺りを見回している四人の学生の姿を、真人の瞳が捉える。ぐん、と真人と澪の体が加速した。
「ちょっとぉ! どうする気なの? まさかあたしの友達ごと攻撃する気ィ?」
「んなコトするワケねーだろ!」
 澪のクラスメートに寄生した魔物たちが、自分たちに向かって飛んでくる二人の姿を見つけ、臨戦態勢に入ろうとした、その時。
 バチッ、という放電音がして、その動きが止まった。宿主たちの体には、赤い文字の記された呪符が張り付いていた。呪符から放たれる白い光が四人の体を取り巻き、その動きを封じる。
「――“静封之呪(せいほうのじゅ)”」
 声のした方角を宿主たちが見ると、そこには息を切らせたすすきが立っていた。両手で続けざまに印を結び、すすきが叫ぶ。
「“追解之法(ついげのほう)”!!」
 白い光がその場一帯を包み込む。次の瞬間、四人の中学生は地面に倒れこみ、四匹の魔物は空中に弾き出されていた。
「すすきさん、ナイス!」
 そう言った真人の指先が再び輝き、宙に紋章を描き出す。そして、先程と同じように、ぶつぶつと何かを唱え始めた。
「まとめて退治してやるよっ……望ムハ“(ホムラ)”、願ウハ“(ヒトヤ)”。“燐火(オニヒ)”!!」
 紋章が輝き、四匹の魔物を囲うように無数の青い火球が現れる。
「――終わりだ」
 真人が突き出した右手を、ぐっ、と握った途端、火球が魔物に向かって集束する。一塊(ひとかたまり)となった青い炎が、四匹の魔物を焼き尽くした。

*  *  *

「全く、いきなり呼び出すから何事かと思ったぞ?」
 柊邸へ向かう道を歩きながら、すすきが真人に言った。
「“寄生(パラサイト)”を追い出すには、すすきさんの力が必要だったから……手間かけさせちゃったな」
 苦笑しながら真人が言った。
 あの後、中学校の教員に「学生が卒倒した」と適当な嘘をついてその処置を任せ、真人とすすきの二人は退散したのだ。澪は友達に付き添って救急車に乗ったから、今頃は病院であろう。
「ま、短時間の寄生だったならすぐに意識も戻るだろうさ。医者も困るだろうな、診断しても原因不明だろうから」
 ふふ、とすすきが笑って言った。
「それじゃ、私は董士を呼びに行く。直接引っぱらないと、アヤツは来ないかもしれんからな。真人は一足先に衙の家に行くと良いさ……澪もそのうち帰ってくるだろう。それにしても、とんだ誕生日になってしまったな」
 すすきの言葉で、真人は今の今まですっかり忘れていたことを思い出した。
(プレゼント……用意してねえ……)

*  *  *

「お誕生日、おめでとー!!」
 柊邸のリビングで、ぱぱん! とクラッカーが明るい音を上げた。多少予定時間から遅れたものの、澪の誕生パーティーが始まった。
「私が、腕によりをかけて作りましたから、皆さんどんどん食べて下さいね」
 栞が、力こぶを作るような仕草をして笑って見せた。イタリアンピザ、鳥の唐揚げ、エビフライ、ツナサラダ……数々の美味しそうな料理とバースデーケーキが、テーブルの上に並んでいる。
「こりゃ……スゴイ」
 誰とは無しに、そんな声が上がったのだった。

 宴もたけなわ、料理の大半が無くなりつつある会場で、
「ちょっと、こっち来い」
 栞の作ったエビフライをくわえていた澪の服を くい、と引っぱり、真人が囁いた。
「何よぅ?」
「いいから来いって!」
 言われるまま、澪はリビングの窓から庭に出る。パーティーの熱気から一転、冷たい外気が二人の体を撫でた。
「空、見てろ」
 短くそう言って、真人は部屋に戻ってしまった。わけもわからず、澪はとりあえず空を見上げる。相変わらずの曇り空で、月も、星すらも見えない。
(……何だってんだろ)
 見上げる澪の瞳に、突然 月光が(きらめ)いた。(まばた)きする間に雲は晴れ、次々と星が光を覗かせる。
「う……わぁ……」
 あっという間に、曇り空は満天の星空へと変わっていた。感動している澪の頭上で、真人の声がした。
「本来、“人魔術”はこんなコトに使っちゃいけねーんだケドよ」
 (のき)の上に座ったまま、真人が続ける。
「今日だけ特別な。
……一応、誕生日プレゼント……の、つもり」
 そう言った真人の声は、少し気恥ずかしそうだった。軒上の真人に向かって、軒下の澪が答える。
「あの、さ。今日は、色々アリガトね。友達助けてくれたし、プレゼントも貰っちゃって――
……ホント、ありがとう」
 そう言った澪の声も、少し気恥ずかしそうだった。
 月と星の光に照らし出された二人の表情も、少し気恥ずかしそうだった。
――お互い、確認はできなかったけれど。




Copyright (c) Takamura Machi. All Right Reserverd.