第四話 「ハッピーバースデー」


 柊邸(ひいらぎてい)からの帰り道、すすきと董士(とうじ)の二人は、ひんやりとした夜風を肌で感じながら歩いていた。真人(まひと)とは既に別れ、道行く人は二人の他には見当たらない。と言うのも、再度手当てが必要となった真人のため、帰る時刻が大幅に遅くなってしまったからである。
「真人のヤツ、今日は厄日だったようだな?」
 思い出し笑いを(こら)え切れない、といった様子で、笑みをこぼしながらすすきが言った。
「……すすき」
 董士がすすきの瞳を見つめ、静かに問いかける。
「“索色之法(さくしきのほう) ”の結果は……?」
 董士の質問に、すすきは緩んでいた口許を引き締め、そして重々しく口を開いた。
「かなりの時を()ている様だったが、それでも(なお)残留する強き力――確かに感じられた」
「……!! まさか――『(アオ)』、か?」
 すすきの言葉を聞いた董士の足が、突然止まった。それに応じてすすきも()を止め、彼の方へ視線を向けた。
(いや)、『(アカ)』、だった。それに、(かす)かではあるが――『(しろ)』も感じられたような……気がする」
「『気がする』? お前にしては珍しく曖昧だな」
 すすきの返事に、董士は眉をひそめた。
(それに、あの微弱な『(しろ)』は、『(アカ)』のような残留力とは違って……)
 口に手を当てて視線を下げ、すすきは考え込んだ。足音に続いて会話も途切れ、しばし夜の静寂が辺りを包み込む。
「やはり、調べてみる必要がありそうだな。『柊』の、過去を」
 一言つぶやいて、董士は再び歩き出した。

*  *  *

 澄みきった青空の広がる、日曜日の朝。サワヤカな小鳥のさえずりとは正反対の、情けない声をあげる男がいた。
「やっぱり俺、帰るよ……」
「駄目です! 今日こそ、(つかさ)さんをキチンと紹介するんです!」
 泉李(せんり)中央病院907号室の前で、入室を躊躇(ためら)う衙に対し、(しおり)が語気を強めた。
「そーだよ。大体、すぐに来なかった方がヘンなんだから」
 (みお)も姉のサポートに回る。二対一では衙に勝ち目は無かった。
 三人の目前の部屋は、高瀬姉妹の母親、高瀬早波(さなみ)の病室である。今日の来院の目的は、姉妹が居候している柊家の実質的な家主である衙を、早波に紹介すること。
 嫌がる衙に構わず、栞は病室のドアを開けた。
「お母さん、おはよう!」
「おはよ〜!」
 栞と澪が、明るく朝の挨拶をする。病室のベッドで、上半身だけを起こし本を読んでいた女性が視線を上げ、優しそうに微笑んだ。
「おはよう、二人とも。今日はずいぶんと早く来てくれたのね。……あら? 後ろの人は……?」
 姉妹の影に隠れるように立っていた衙に気付き、早波が不思議そうな顔をする。
「お母さん、この人が柊 衙さん」
「いっぱいお世話になってるって、話したでしょ?」
 栞と澪による紹介に、衙はぺこりと小さく頭を下げた。
「ど、どうも。柊 衙、です」

 高瀬早波は、落ち着いた雰囲気を持った女性だった。しかし決して物静かという訳ではなく、明るい笑顔と時折口に出す冗談は、四人の会話を弾ませた。何より彼女は聞き上手であり、話す側はついつい語り過ぎてしまい、それがまた笑いを呼ぶのだった。その任はとりわけ、澪の失敗談に課せられる羽目になることが多く、「電子レンジ玉子爆破事件」だとか「吹き掃除廊下大洪水」なんかは良い例である。
 ただ、栞も澪も魔物に関する話だけは全くしていなかった。母親に心配をかけさせたくない、という姉妹の気持ちを知る衙もまた、敢えて語ろうとはしなかった。

 二時間半ほど楽しく過ごした後、三人は家に帰ることにした。
「それじゃ、お母さん、また来るね」
 病室のドアを開けながら母親の方へ振り返り、栞が言う。
「早く元気になるんだよぅ!」
 と、これは澪。
「はいはい」
 と、早波が笑顔で答える。
「衙さん、娘をよろしく頼みますね」
 そう言いながら手招きをする早波に、衙は一人歩み寄った。
「実はね。ふたつ、聞いておきたいことがあるのよ」
 早波が、耳打ちするように(ささや)く。真剣な声音(こわね)に、衙はごくり、と息を呑む。
「――栞と澪と、どちらが貴方(アナタ)のタイプかしら?」
 かくん、と衙が倒れそうになる。
「な……っ! 何言うんですかぁ!」
 照れたような、そして困ったような表情で、衙が小さく叫んだ。早波が楽しそうに、くすくすと笑う。
「ごめんなさい、ひとつ目は冗談よ、冗談。本当に聞きたかったのは……」
 再度、真剣な声音。
「――あの子達のマンションが壊れた本当の(・・・)理由、よ。あの子達は強盗に遭った、って言ってたけど」
 早波は一呼吸置いて、続けた。
「もしかしたら……もしかしたら、よ? ……『魔物』なんていう単語が深く関わってるんじゃない?」
「!! 何で……っ!?」
 ずばり核心を()かれて、衙は目を大きく見開いた。
「やっぱり、そうだったの……」
 外れてほしい予感が的中して、早波は深くため息をついた。
「『柊』っていう苗字を聞いた時から、そうじゃないかって思ってたのよ。それに、貴方は本当に壮一(そういち)さんに似ているもの……」
「どうして、父さんの名前を――!?」
 驚愕(きょうがく)。混乱。当惑。動揺。疑念。衙の声は、感情を抑えきれずに震えた。
「衙さん? 改めてお願いするけれど、娘をよろしく頼みますね」
 衙とは対照的に、落ち着いた様子で――それとも、落ち着いた振りをしているだけなのか――早波は頭を下げた。
「待って下さい! あなたは一体――」
 そう言いかけた衙の声を、澪の呼び声が遮った。
「つかさー! 何やってんのー? 早くしないとバス来ちゃうよー!」
 ぱたぱたと、澪のスリッパの足音が近づいてくる。
「今は、言えないわ。あの子達にとって、貴方にとって、そして私にとっても……時間が、必要なのよ。本当に……本当に、ごめんなさいね」
 痛々しい程の表情で早波はそう言って、話を切った。
「つかさー?」
 病室のドアが開き、ひょこ、と澪の顔が覗いた。
「あ、ああ……今、行くよ」
 ちらりと早波を一瞥(いちべつ)して、軽く礼をし、衙は病室を後にした。そうすることしかできなかった。
「ごめんな……さい……」
 呻くような早波の声が、3人の去った病室に響いた。

*  *  *

(母さんに電話して聞いてみようか……)
 病院からの帰りのバスの中で、衙はぼんやりと考えていた。
(いや、今は聞くべき時期(とき)じゃないのかもしれない、早波さんが言っていたように。でも――)
「衙さん? 聞いてますか?」
 栞の声に、衙は思考の中からバスの中へと引き戻された。
「え? あ、ゴメン。何?」
「あたしの誕生日の話! もう、つかさってばァ!」
 澪がちょっと機嫌を損ねた様子で言った。
(そういえば、さっき病室でも話題になったっけ。澪ちゃんの15歳の誕生日が明後日の19日だ、って)
「それで、簡単なお祝いをしようと思うんです。……良いですか?」
 栞が、居候先でパーティーを行うことを(はばか)って尋ねる。
「ああ、もちろん。どうせなら友達も呼ぶといいよ。すすきさんや董士、真人も呼んじゃおうか?」
 栞の申し出を、衙は快く承諾した。
「すすきさん達は良いですけど、学校の友達はまずいんじゃないでしょうか。ほら、私達が衙さんの家に居候してる、って知られちゃうわけですし。そうなると衙さんに迷惑が……」
 栞が、気まずそうな表情で言った。確かに、学校で妙な噂が立つことは衙にとって本意ではない。それに、栞と澪の二人にもあまり良いことではないような気がした。
「そっか。なら、呼ぶのはあの三人だけにしようか」
「うん、それでイイよ。友達には学校でお祝いしてもらうもんね」
 いしし、と澪が嬉しそうに笑った時、三人の降りる停留所にバスは止まったのだった。




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