「いた! いたたたたっ!!」
 場所は柊邸リビング。意識を快復し、栞に怪我の手当てを受けている真人は、左頬の痛みに悲鳴を上げた。
「あっ、すみません――ハイ、終わりましたよ」
「……どうもでした。……っつぅ〜」
 大きなガーゼを当てた自分の頬を撫でながら、真人はその猫のような目を(しばた)いた。
「――つまり、八方の一族も退魔の家系だと言うことだ」
 手当てが終わったのとほぼ同時に、衙たちへのすすきの説明も終了した。
 
 八方の名は、その世界では有名である。その知名度の所以(ゆえん)の一つが、“人魔術(じんまじゅつ)”。本来、高位の魔物のみが可能である“魔術”と同等の力を、降魔(ごうま)能力(ちから)を利用して可能にする、特殊な秘術である。さらに、“人魔術”の使用者が八方の血族に限られる、という点もその特殊さを際立たせている。真人はその八方の血を継ぐものであり、すすきや董士とは諸々の機会で顔を合わせていた。
 ――というのが、すすきの説明であった。

「“魔術”ってのは具体的にどんなのを言うワケ?」
 澪が、お盆で六人分のお茶を運びながら尋ねた。
「魔力の高い魔物は、その力で(もっ)て炎を発生させたり、氷を発生させたりでき、こういった能力を一般に“魔術”と呼ぶわけだ。“人魔術”が“魔術”と違うのは『発生』ではなく『操作』であること……小難しいプロセスを略して言うとだ、つまりは降魔の能力を応用して、周囲の空間に宿る“精霊”の力を引き出し、コントロールすることで“魔術”と酷似した現象を起こすことができるということだ。当然コントロールした対象の質量や運動性、熱量等のエネルギー値に()って術者が消費する力も変動するわけだが――」
 口を開いてからここまで25秒。すすきの早口の解説についていけず、澪はその手に持つお盆を落としそうになった。
「も、もうヤダなー、すき(ねえ)ってば! カツゼツ良すぎっ!」
「す、すき姐ッ?」
 突如、妙なあだ名で呼ばれたすすきの声が1オクターブ上昇した。
「え? 口調とか仕草とか“デキる女”、ってカンジでかっこイイから“すすき姐さん”でしょ。略して“すき姐”……ダメ?」
 さも当然、といった調子で澪は言ってのけた。
「いや、別に駄目とかそういう事では無いのだが……普通に呼んでくれた方が有難いというか」
「ダメじゃないんでしょ? ならイイじゃない? よし、“すき姐”で決定っ!」
 一人で勝手に納得。どうやら彼女の辞書には『人見知り』という単語は無いらしい。
「ああ、澪、またそんな無理矢理……すみません、すすきさん」
 昔からこういった光景を見慣れてきた栞は、妹の(極度に)外向的な性格に半ば呆れつつ、それを羨ましくも思うのだった。果たして突拍子の無い妹が穏便な姉を生んだのか、はたまたその逆か。
「初対面の人間に勝手にあだ名付けるわ、ビンタぶちかますわ、オマエってどーゆー神経してんだよ」
 恨みっぽい真人の視線が澪を射す。
「なによー! アレはアンタがヘンタイなのが悪いんでしょー!」
「ヘンタ……っ!? アレは不可抗力だろーが、不可抗力っ!」
「ヘンタイ・ヘンタイ・チカン〜!」
「み、澪っ、止めなさいって!」
 尚も悪態をつく澪に、栞が慌てて止めに入る。
「もう……真人さんを叩いてしまったことに関しては澪が悪いんだから、きちんと謝りなさい? さっきは謝るって言ったじゃない」
「……知〜らない」
 諭すように言う栞に、澪はそっぽを向いた。そのまま知らん顔で、お盆から湯呑み配りを始める。
 真人の前にお茶を置く際、彼には気付かれぬよう、ちらとその頬に視線をやった。
(あたしだって……ビンタはやりすぎだったとは思ってるよ)
 けれど、真人の語勢が思いの外強かったせいで彼女持ち前の勝気が勝り、謝る契機を逃してしまったのだ。
(最初は謝るつもりだったんだけどなぁ)
 そんな事を考えていたため、彼の顔を少し長く見過ぎたようだ。違和感を覚えた真人が澪を見た時、丁度目が合った。
 ぐりんっ。
 そんな音が聞こえそうな勢いで澪の首は回転した。
「あ、す、すき姐っ? ご、“降魔の能力”ってのもイマイチわからなかったりするんだけどぉ……」
 わざとらしすぎるくらいわざとらしい話題転換。しかし、そんな澪の動揺に気付いているのかいないのか、すすきは快く返答してくれた。それはもう快く。
「“降魔の能力”というのは……人間が持つ生命エネルギーとリンクする部分の大きい能力でな。誰もが持つ生命エネルギーは体内で働くものだが、それを外に向けて開放したものが“降魔の能力”と呼ばれるのだ。基本的には……そうだな、俗に言う“霊力”と同質の物と考えてもらって良い。魔物に対して有効性の高い攻撃手段であり遺伝性の強い能力であること、また使える者が稀有(けう)な存在であることから、遥か昔よりその能力を持つ一族は退魔の血脈を守り、人々の守護に当たってきたのだ。外に開放された能力は通常金色の光を放ち、物理的な強度や破壊力も飛躍的に上昇するため、対魔戦に限らず退魔師は優れた戦闘能力を――」
 口を開いてからここまで33秒。すすきの早口の解説についていけず、澪は再びその手に持つお盆を落としそうになった。
(ぼ、墓穴……? ああ、もういいや……とりあえずスゴイチカラってことだよね……うう……ぐすん)
 理解をあきらめ情けない顔でお茶配りを終えた澪は、さっきの不自然な視線回避に対する真人の反応を見るべく、恐る恐る彼の方を盗み見た。
 また、目が合った。澪に浴びせられる彼の視線の意図するところは明白だった。
『あ〜、コイツ、すすきさんの説明全っ然わかってねぇなァ』
 で、ある。
 心の中で地団太踏んで、澪は彼の顔を思いっ切り睨み付けた。

「……それで、真人は時白(ウチ)に用があったのではないのか?」
「サスガ、すすきさんは相変わらず鋭いねぇ」
 急に真剣味を増したすすきの声に、答える真人の目つきも変わった。
「お前の家と我が家の位置関係を考えれば、な。――して、用件はなんだ?」
「ココで喋っても構わねぇのか?」
 真人が、衙たちの存在を気にして、言葉を濁した。
「構わんさ。先刻からの会話で分かる通り、彼らは既に深く関わってしまっている。それに、そこの柊衙は“降魔の能力”を持つ者だ」
「ヘェ。珍しいな、無名の退魔師とは。じゃ、遠慮なく。
 ……ここ数年、魔物の数が急激に増えているのは知ってるよな? 八方(こっち)で調べた所……どうも人工的に“門”が開けられてるみてーだ」
「馬鹿な! そんな事が可能な筈は……!」
 董士が、思わず椅子から立ち上がって叫んだ。が、何かを思い出したように黙り込んですぐに座り直し、静かにつぶやく。
「――続けろ」
「巨大な魔力反応と“聖禍石(せいかせき)”反応、そして“門”反応が同時に確認されてる。間違いねぇよ」
「では、まさか、あの仮説は……!?」
「おそらく事実なんだろうよ。信じたくねぇが」
 真人が目覚める前にすすきから“聖禍石”や“門”の説明を受けていたとは言え、栞と澪の二人は話の展開に目を白黒させるばかりである。衙にしても、初耳の内容ばかりであった。
「……あの。その『仮説』ってのは一体……」
 衙の質問に、すすきが答える。
「“聖禍石”は、四つ(そろ)って“獄門”を開くことを可能とするが……一つだけでも“門”を作り出す力はある、ということだ。ただし、膨大な魔力の注入が必要なようだがな。そして、高い魔力を持つ魔物――我々は“魔族”と呼んでいるが――が、“門”を開き、魔物を人間界へと放っている」
「つまり、だ。人間界には二パターンの魔物が存在するってコトだ。“門”に偶然吸い込まれた魔物と、“門”を意図的に通ってきた魔物。そして、後者が近年の魔物数増加の原因だ。目的は……分かるよな?」
 真人の言葉に栞が目を見開いて、ぽつりと言った。
「――“聖禍石”の収集と、“獄門”の開通……」
「ご名答。こりゃあ、オレたち忙しくなるな。はやいトコ、未発見の“聖禍石”を探してガードに当たらねぇと」
 真人がこれからの事に思いを馳せたその時、すすきがふふ、と笑った。
「真人よ、“聖禍石”ならお前のすぐ(そば)にあるぞ?」
「はぁ? すすきさん、何言って……えぇ!?」
 申し訳なさそうな顔で栞が取り出したペンダントを見て、真人は驚愕(きょうがく)した。
「んな、何で……!!」
「どうやらお前には、この一週間の出来事をイチから説明せねばならんようだな……」
 そう言って、すすきは小さくため息をついた。

*  *  *

 柊邸の玄関で、帰り支度を整えた董士とすすき、それに真人の三人が、帰路に着こうとしていた。日はすっかり沈み、空には満天の星空。月と星と、そして街灯の光に、アスファルトで舗装された道がぼんやりと浮かび上がっている。
 帰る三人を見送るは、衙、栞、澪の三人である。
「それにしても栞さんも人が悪い! 何でもっと早く教えてくれねーんだよ?」
 真人が、あははと笑いながら先程のペンダントの件を語る。
「真人さんの意識が戻ってから、ずっと話が続いてたので、ちょっと、言い出す機会が……」
 栞が苦笑しながら言った。
「それじゃ、そろそろお(いとま)しようかの?
 ――ああ、そうだ。さっきの煎茶は本当に美味しかった。甘・渋・苦の調和が見事と言うか……香りも充分に引き立てられていたし」
「あ、それはオレも思った。なかなか出せる味じゃねーよな、アレは」
 すすきと真人の称賛に、澪がうつむいて顔を赤くした。栞が嬉しそうに微笑んで答える。
「あのお茶は、澪が淹れたんです」
 料理音痴の澪ではあるが、お茶を淹れるのだけは姉より上手なのだ。皆の前で公言されて、澪はますます顔を赤くした。
「あ、あの、どうも……」
 肩をすくめ、小さくなってぼそぼそと澪が喋る。その姿に、真人の心臓がどきり、と鳴った。
(意外と、結構……)
 かわいいかもしれない、と考えかけて、真人は自身の左頬の事を思い出した。変態扱いされたり睨まれたりはしたが、まだ謝罪の言葉を受けた記憶は、ない。
 つい左頬を押さえた真人を見て、栞が慌てて澪に耳打ちした。
「――澪っ、最後に真人さんに謝らないと」
「……ん」
 今しかないかもしれない。今日中に謝らないときっと謝れない。根拠なんて何処にも無いけれど、それだけは確かだ、と澪は思った。自分の淹れたお茶を褒めてくれた彼に対する返礼の一種だと思えば――
「……叩いちゃってスミマセンでした」
 澪は自分でも驚くほど素直に謝り、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ。いいよ、気にしてねーから」
 真人は自分でも驚くほど素直にその謝罪を受け入れ、(てのひら)を小さく左右に振った。
 が、しかし、次の一言は余計であった。
「ま、あの一件はきれいさっぱり水に流そう! オレもオマエも気にしないってコトで……大体、触ったって言ってもほとんどわかんねぇくらいだったんだし、気にするコトでもねぇよなぁ!」
 真人の明るい笑顔がひきつるのに、そう時間はかからなかった。彼は澪の地雷を踏んでしまったのだ。澪の表情が、仁王顔負けの憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)へと変わる。
「ムネが小さくて……悪かったなああああぁぁッ!!!」
 平手一閃、まるで高速道路を走る大型トラックに撥ねられたかの様に、真人は吹っ飛んだのだった。




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