第三話 「魔術師、宙を舞う」


「じゃあ、ミーってば男のヒトと暮らしてるワケぇ!?」
 (みお)の親友――と言っても、知り合ってから一週間そこそこなのだが――の村舘(むらたて)由佳(ゆか)が、泉李(せんり)中学3年2組の教室中に響き渡るような大声で叫んだ。
 昼食中のクラスの面々が、一斉に二人の方に振り向く。
「ちょっと! ユカってば声が大きいよッ!」
 クラス全員の視線に対し、「何でもありませんよぅ」といった苦笑いで応えてから、澪は由佳に文句を言った。
「で、で、そのヒト、どんなヒト?」
 由佳は少しも悪びれる様子もなく、机を挟んで座っている澪へと身を乗り出した。色素の薄い髪が、さらりと流れ落ちる。
(黙ってりゃ深窓の美少女なのになぁ)
 その外見と中身のギャップにまだ戸惑いを感じつつ、澪が答える。
「ん〜、いいヒトだよ。優しいし、家事は上手いし」
「なになに? もしかして……ホレちゃったとか?」
 にたにた、という表現がぴったりと当てはまりそうな笑顔で、由佳が尋ねた。
「あのねぇ……」
 呆れ果てた表情で、澪はため息をついた。
「違うの?」
「どっちかって言うと、“お兄ちゃん”のイメージかなぁ。あたしのお姉ちゃんの方がそのヒトとはイイ雰囲気だしねぇ」
 ふうん、と一声発して椅子に座り直し、由佳はエビフライをぱくりと食べた。

「じゃあ、シオちゃんってば男の人と暮らしてるわけ!?」
 (しおり)の親友――と言っても、知り合ってから一週間そこそこなのだが――の加東(かとう)祐子(ゆうこ)が、月上(つきがみ)高校2年5組の教室の一角で声を潜めて尋ねた。
 昼食中のクラスの面々は、二人の会話に気付きもせずに箸を進め、談笑している。
「祐子ってば……そんなに声、落とさなくても。何だか悪いこと話してるみたいじゃない」
 祐子の食い入るような視線に対し、栞は苦笑いをしながら答えた。
「ああ、ごめんごめん……それでさ、その人、どんな人?」
 机を挟んで座っている栞へと思わず乗り出していた体を戻して、祐子は並の音量で問いかけた。肩口で切り揃えられた(つや)やかな黒髪が、微かに揺れている。
(祐子って、どこかお母さんに似てるなあ……澪にもちょっと似てるかも)
 視覚的ではなく、感覚的にそう思いつつ、栞が答える。
「えっと……いい人、だよ。優しいし、家事は上手いし」
「むむ? もしや……好きになっちゃったとか?」
 興味津々、といった表情で、祐子が尋ねた。
「……」
 少し考え込む様子で、栞は口を閉じた。
「おやぁ? 図星ですか?」
「ちがっ……! そんなんじゃないってば!」
 ふうん、と一声発してにやりと笑い、祐子はタコウインナーをぱくりと食べた。

*  *  *

「お姉ちゃんも? あたしも今日、話の流れ的に住んでる場所が話題になってさ。で、つかさと住んでるってコト喋っちゃった。あ、もちろん名前は出さなかったし魔物のコトも言わなかったケドね」
 放課後、たまたま帰り道で出会った姉妹の会話の内容は、今日の出来事であった。何故か少し頬を赤らめた姉を見て、澪は(いぶか)しげな顔をする。
 栞の耳には、今日祐子に言われた言葉が再び響いていた。
『もしや……好きになっちゃったとか?』
『おやぁ? 図星ですか?』
(どうなのかなぁ……。ホント優しくていい人だとは思うけど……好き、かどうかなんて――わかんないよ……。第一、まだよく知らない部分も多いのに。
……あぁ、もう、祐子のせいで悩んじゃうじゃない)
 栞はつい、黙り込んでしまう。
 けれど、祐子に尋ねられた時。黙り込んでしまったのは、衙の姿を思い出したから。蛍のように舞う光。凛とした彼の表情。あの雨の日の光景が、頭から離れないのも、事実。
「あ! つかさだぁ! つ〜かさ〜!」
 澪はぴょんぴょんと跳びながら、肩口まで伸びた琥珀色の髪と頭の左右に着けた赤いリボンを震わせ、手を振って叫んだ。澪の声に反応して栞が前を見ると、こちらを振り向いた(つかさ)の姿が視界に飛び込んできた。
「あれぇ? 二人も今帰り?」
「すごい偶然だね〜。あたしたちもさっき、たまたま一緒になったんだよ」
 澪が衙とうちとけた感じで話す。しかし、まさに今考えていた人物が現れて、栞は衙から目を逸らし気味になってしまった。
 そんな栞の様子に気付いた衙が、不思議そうな表情で話しかける。
「栞さん、どうかした?」
「いっ、いえ! 何でもないですっ!」
「そ、そう? だったらいいけど……」
 凄い勢いで答える栞に、衙はちょっとびっくりした顔をした。
(んんっ、やっぱりお姉ちゃんとつかさはイイ感じだなぁ)
 衙と栞のやりとりを見ていた澪は、一人微笑んだ。
(……あたしも、いいヒト見つかんないかなぁ)
 考えながら、十字路を曲がる。
「きゃっ!?」
 どしん、という大きな音とともに、澪は地面に倒れこんだ。角を曲がってきた通行人とぶつかったのである。
「いたたたた……」
「っつぅ〜……どこ見て歩いてんだよっ」
 ぶつかった相手の乱暴な口調に、澪はむっとして言い返そうとした、が。
「!!!」
 ぶつかって澪の上に倒れこんだその人物の右手は、ちょうど彼女のムネの部分を触っていた。
「……あ」
 澪の顔が、耳まで朱に染まる。
「……ッ!! この……っ、チカン〜!!!」
 先程の衝突音の数倍の大音量をたてて澪の平手が炸裂し、まるで高速道路を走る自動車に()ねられたかの様に、その人物は吹っ飛んだ。

*  *  *

「だから、よそうと言っただろう」
 柊邸の前で、董士(とうじ)はぼそりと不平を言った。日は大分傾き、空の色を変えつつある。断る彼を、強引にこの場所まで連れてきたすすきは、ぽりぽりと頬を掻いた。
「もう帰っていると思ったのだが、な……」
 嫌がる董士を数日がかりで説得し(説得と言うより、最後は脅迫に近い剣幕だったのだが)、ようやくこの前の件の()びと挨拶に来たというのに、彼らは不在なのである。
「……帰るぞ」
 あっさりとUターンする彼の長い黒髪をむんずと(つか)まえ、すすきが引き止める。
「ちょ……っと待て。もう少し待とう、な、な?」
 もう一度この男を連れてくる苦労を思うと、ここで帰すわけにはいかない。
「いないのだから仕方ないだろう」
「だから、アヤツらが帰ってくるのを待とう、と……! そら、帰ってきたではないか?」
 すすきが指差すその先には、衙たちの姿があった。
「もう、澪ったら。後でちゃんと謝るのよ?」
「……はぁい」
「あれぇ? すすきさんに…… 董士ぃ!?」
 家の前の人影に気付き、衙が本日二度目の「あれぇ?」を発する。その肩には、さっき澪に吹っ飛ばされた人物が担がれている。気を失ったその男を手当てするため、衙が運んできたのだ。
「……真人(まひと)?」
 すすきと董士の二人が、信じられない、といった顔つきで、同時につぶやいた。多少顔が変形してはいるが、臙脂(えんじ)色のバンダナと金髪のその男の姿は、二人のよく知る人物――八方(やかた)真人(まひと)に間違いなかった。




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