第二話 「a selfish fencer」


 高瀬(たかせ)姉妹が(ひいらぎ)家に居候するようになって、三日が経った。結局、(つかさ)は二人のことを“(しおり)さん”“(みお)ちゃん”と呼ぶことにした。苗字で呼ぶと区別がしにくいからである。自然、姉妹も衙のことを下の名前で呼ぶこととなった。
 澪はその呼ばれ方に多少の不満があるようで、「な〜んでお姉ちゃんは“栞さん”で、あたしは“澪ちゃん”かなぁ?」と下唇を突き出すようにして文句を言い、挙句の果てには「あたしがお子様だってゆーのぉ?」と、衙に殴りかかりそうな勢いだった。が、衙は何となく、彼女を“さん”付けで呼ぶのに抵抗を感じたのだ(あくまで“何となく”であると彼は主張した)。
 結局、栞になだめられた澪は“ちゃん”付けに納得したのではあるが、「その後の数十分間は彼女の目付きがアブナく、生きた心地がしなかった」と衙は証言できる。とは言えその翌日には、彼女は“澪ちゃん”と呼ばれても全く気にしない様子であり、衙を拍子抜けさせた。「さばさばしてるのが、澪の良いトコロなんですよ」と栞に言われて、衙は「……あ、そう」としか言葉が出てこなかった。

 家事を手伝ってもらううちに、判明したこともあった。栞は家事上手であるが、澪はあまり得意ではなく、とりわけ料理が下手なのである。ウェルダンを遥かに通り越した野菜炒めを作った後、澪は料理当番表から外され、掃除と洗濯に専念することとなった。もっとも、その二つに関しても失敗は多かったが。

*  *  *

 三人での暮らしにも慣れ始めたその日の朝。新品特有の光沢を放つ目覚まし時計が、衙を眠りから引き起こした。いつものように布団から手だけを出して、睡眠妨害音の停止スイッチを探し当てる。
(あ、手触りが違う……そうだ、栞さんに買って来てもらったんだったな)
 使い始めて三日経つのに、まだ前の感覚が残っている。ぼんやりと霞がかった意識でそんなことを考えて、衙はゆっくりと体を起こした。気を抜けば閉じそうな(まぶた)(こす)りながら、今しがた止めた目覚ましを手に取り、まじまじと眺める。
 新しい目覚ましを端的に表すならば、青。そして丸。その色と形は、小さな地球を連想させる。曇りガラスのような半透明の青は、派手過ぎず、しかし確かな存在感が有り、衙はその落ち着いた雰囲気が気に入った。
 衝撃に強く、壊れにくい製品だという説明を真摯にしてくれた栞の姿を思い出して、衙は眉を寄せ、思い出し笑いならぬ『思い出し苦笑い』をした。
(丸いカタチ、っていうのもひょっとすると……殴っちゃった時痛くないように、とか考慮してくれたんだろうか)
 (いず)れにせよ、色々と悩んで買ってくれたのは間違いない。栞の話によれば、澪が選ぼうとした時計は怪獣型でアラーム音が雄叫(おたけ)びだったそうであるから……一人で買い物に行かせなくて良かった、と切に思う衙であった。
 時計を枕元に戻し、衙は大きく伸びをした。二度寝をするわけにはいかない。今日の朝食当番は彼なのである。

*  *  *

 朝食中、自分の作った長葱の味噌汁を食べ終えて、衙は思い出したように栞に尋ねた。
「栞さん。お父さんの形見のペンダントの事だけど、どうして魔物に狙われたのか、心当たりとかある?」
 お茶を飲んでいた栞はテーブルにコップを置くと、ふるふると頭を横に振った。
「ちょっと、見せてくれるかな」
 衙の言葉に、栞は首の後ろに手を回して止め具を外し、服の中に隠れていたペンダントを取り出した。その仕草が妙に色っぽくて、衙は一瞬どきりとしたけれど、そんな彼の動悸には少しも気付かない様子で、栞はペンダントを手渡した。
「私達が小さい頃に父は亡くなったんですけど……以前、部屋を整理していた時、私達二人宛の封筒と一緒にこのペンダントを見つけたんです」
「手紙にはさぁ、『このペンダントを決して手放さないでくれ』みたいなコトが書いてあって……とにかくナゾだね、そのペンダントは、うん」
 澪が、ご飯を頬張りながら難しい顔をした。確か2杯目である。
「お父さんの物って、ほとんど残ってなくて。だから、そのペンダントは大切にしてるんです」
「あたしとお姉ちゃんで、日替わりで身に着けてるのさっ」
 びしっ、という音が聞こえそうな程のキレの良さで、手に持つ箸を衙へ向けた澪に対し、
「澪、行儀が悪いっ」
 栞が素早く注意する。
「栞さん、何かお母さんみたいだね」
 姉妹のやり取りに思わず笑いながら、衙はふと思いついた。
「そうだ、二人のお母さんにそのペンダントのこと、聞いてみたりしたことは?」
「お母さんには、お父さんの手紙と一緒に見せたことがあるんですけど……」
「どーもね、お母さんの態度がヘンだったよーな気がするんだよね」
 記憶を引っ張り出そうとしているのか、澪は宙を仰いだ。
「変って、どんな風に?」
「んー、何てゆーのかな、いつもと変わらないと言えば変わらなかったんだけど」
「笑顔の時も、本当に笑っていないような、そんな感じでした。私たちの気のせいかもしれないんですけどね」
 栞が苦笑する。と、思い出したように声をあげた。
「あ! 衙さん、近い内に母の病室へ一緒に行きましょうね。本当なら一昨日、私たちが行く時に付いて来てもらうはずだったのに」
「あ、イヤ、俺はいいよそんな……」
 小さい頃から、怒ると鬼悪魔が尻尾を巻いて逃げ出すような母に育てられた衙にとって“母親=怖れの対象”でもある。言わばトラウマ。他人の母親であろうと、あまり会いたくはない。
「ダメです! 魔物の事はさすがに言ってませんけど、居候させてもらってる事へのお礼は母もしたがってますから」
「え、えと、機会があったらまた今度ね、今度。そ、それよりさ、お母さんはそのペンダントについて何か言ったりしなかったの?」
「そうですねぇ……」
 あからさまな話題転換ではあったが、奇跡的に効を奏したらしい。それとも単に栞が素直なだけなのか。
「そんなに特別な事は言われなかったと思います。『あなたたちのお守りみたいな物ね』だとか、『お父さんも若い頃は付けてたのよ、このペンダント』だとか、そのくらいだったと」
「ふぅん……」
 衙は改めて、そのペンダントを注視した。
 金のプレートに()め込まれた、真珠のような白い石。
(魔物は、“石を渡せ”と繰り返していた。この石には何かがある、と思うんだけどな)
 その果てしなく深い乳白色に吸い込まれるように、衙は考え込んだ。
 しかし、澪の叫び声によって、その思考は中断された。
「あーっ! もう8時40分だよ!? 二人とも、チコクチコクッ!!」
「なっ!?」
 時計を見ると、その針は確かに澪の言った通りの時刻を示している。
 現在時刻、8時40分。柊さんちから月上高校まで、徒歩10分。校門が閉められるのが8時50分。
「まっずい!!」
 三人は慌てて食器を流しに放り込み、家を飛び出した。
(この前から飛び出してばっかりだな、俺……)
 自らの(あわただ)しい生活をちょっと(なげ)きつつ、衙は学校へと走る。そのポケットには、さっきの騒動で思わず突っ込んでしまったペンダントが光っていた。

*  *  *

「結局、栞さんに返せなかったなぁ、このペンダント」
 学校帰り、自分の手の中できらきらと光っているペンダントを見つめながら、衙はそうつぶやいた。休み時間に彼女のクラスに行ったりしたのだが、どうも擦れ違うことが多くて、会う機会を得られなかったのだ。
「放課後は部活見学に行っちゃってたし。しょうがない、帰ってから渡すかぁ」
 はあ、とため息をついて、衙は横断歩道を渡った。ちなみに彼は、週二回しか活動のない調理部であり、今日はちょうど休みに当たっている。長い自炊生活のおかげで、料理はかなり上手い。
(でも、栞さんは俺より上手いよなぁ。彼女も自炊が長いのかな? だけど、澪ちゃんはなんであんなに下手なんだろ……)
 そういえば今日の夕飯は栞さんの担当だったな、と思い出し、無意識に笑みをこぼしながら、衙は自宅へと向かう足を速めた。と、その時。
「!?」
 背筋を凍りつかせるような殺気を感じて、衙は振り向いた。
 そこには、(ひざ)まで届きそうな長い髪の男が、一振りの剣を(たずさ)えて立っていた。その髪は夜の海のように暗く、深い黒。長い前髪と口まで隠れる大きな襟のコートで、表情はハッキリしない。ただ、冷酷な光を宿したその灰色の瞳だけは、かろうじて確認することができた。そして、その光の対象が自分であることも。
「――そのペンダントを、渡してもらおうか」
 静かな声で、男が言い放った。衙は、ペンダントをぎゅっと握り締め、ズボンのポケットに押し込む。
「魔物以外にも狙われるシロモノだったとは、知らなかったな」
 目前の男から受ける圧迫感に、衙の額から汗がつう、と流れる。
「渡すのか、渡さないのか……どっちだ?」
 隠れた口が、再び言い放つ。
「……イヤだ、と言ったら?」
 衙がそう言うや否や、男は一瞬で間合いを詰め、その手の剣を横一文字に振り払った。
「!!」
 体を低く(かが)め、衙は紙一重で初太刀(しょたち)をかわした。剣が(かす)めた髪の毛が二・三本、宙に舞う。間髪入れず、男が剣を振り下ろす。素早く飛び退いて二太刀目をかわした衙に、男は三太刀、四太刀と、次々に斬撃を繰り出していく。
(速いッ!!)
 次第に速度を増す太刀筋を、衙は必死で避け続ける。が、八太刀目。
(駄目だ! かわし、切れない……っ!!)
 青から赤へと変わり始めた空に、金属音が響き渡った。男の剣が衙の頭を両断する寸前、金色に輝く衙の右手がそれを(はば)んだのだ。
 止められた剣を引き、男は流れるような動きで衙と距離をとった。
「ようやく……出した、か」
 どこか笑いを含んだ声が、衙の耳に届いた。
「これでこちらも……心置きなく、本気を出せるというものだ……!!」
 男が剣の切っ先を衙に向ける。突如、その刀身が光を放った。その金色の輝きは、衙の右手のソレと全く同じであった。
「……な!?」
 その光景に衙は目を疑い、驚きの声を上げる。
「――行くぞ」
 先程よりもさらに速いスピードで、男は太刀を繰り出した。衙はその攻撃を懸命に右手で防いだ。巨大な硬質音を立て続けに発し、男の光と衙の光がぶつかり合い、その度に火花が散る。
「お前も、降魔(ごうま)能力(ちから)を……!?」
 男の太刀からなんとか身を守りながら、衙が問う。しかし、(なお)も男は無言で斬りかかる。
(くっ……重い……!!)
 一太刀ごとに、途轍(とてつ)もない衝撃を受ける。右手を通じて、体の芯まで痺れるようだ。
 そして(つい)に男の剣が、衙の体をガードした右腕ごと弾き飛ばした。
「くう……ッ」
 どっ、と地面に激しく叩きつけられ、衙は(うめ)いた。それでも歯を食いしばり、ぐぐ、と体を起こして男に向き直る。
「ソレは、お前如きが持っていて良い物ではない」
 男が剣を(かつ)ぐように構える。
「渡さぬと言うのなら、力尽(ちからず)くで奪うまで……」
 刀身の輝きが徐々に白く変化し、
「“霜刃(そうじん)”!!」
 振り下ろされた剣から、白く輝く衝撃波が放たれた。
 (くう)を切って自らへと向かうその白い刃を防ぐため、衙は渾身の力を込めて右手を突き出した。
「“昊天(こうてん)”ッ!!」
 轟音(ごうおん)と同時に、爆煙がまき上がる。
 煙の晴れたその場所には、呼吸を荒らげた衙が、傷だらけの体で立っていた。
「致命傷だけは逃れたか……だが、ここまでだ」
 上空から聞こえる声に反応し、衙が見上げたその先では、剣を振りかぶった男が宙を舞っていた。一瞬、衙の反応が遅れる。
(やられる――!)
 衙がそう思った時だった。
「やめんか!! 董士(とうじ)ッ!!!」
 芯の強い声が響き渡り、衙の鼻先で剣が止まった。衙はへたん、とその場に座り込む。
 男の後方に、息を切らした巫女装束の女の子の姿があった。
「すすき……か」
 そうつぶやいた男の腕の剣が、淡く(きらめ)いて消えた。衙に背を向け、
「命拾いをしたな。だが……次は、無い」
 言い捨てて、男は歩き去った。
「大丈夫か、君?」
 巫女装束の女の子が、首の後ろで一つに束ねた長い黒髪を揺らしながら、衙に駆け寄る。
「はあ。なんとか、おかげさまで」
 何が何だかわからない衙が、呆気(あっけ)にとられた顔で答えた。
「少し、話そうか。時間、いいかな?」
 女の子が差し伸べた手を借りて立ち上がり、衙は頷いた。




Copyright (c) Takamura Machi. All Right Reserverd.